kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

ジギー・スターダスト

 

デヴィッド・ボウイのジギースターダストのツアー最終日の講演の映画化。

なんと1974年、48年前のライブです。

 

f:id:kyoyamayuko:20220310092444p:plain


ziggystardust.onlyhearts.co.jp

 

デヴィッド・ボウイ・・・

 

正直言って名前しか知らない・・・

戦場のメリークリスマスのイメージ。

音楽で知っているのはレッツダンスくらいでしょうか。

youtu.be

 

ディスコソングなイメージ。

この曲からボウイは80年代なイメージでした。

 

でも、伝説的なジギースターダストは名前だけは知っている。

映画で見られるうちにみておこう。

軽い気持ちで見に行きました。

 

 

いやーー!

びっくりしました!!!

 

ロックじゃん!!!

 

 

私が無知すぎなのかもしれないけれど、

古典的なロックでストーンズみたいでした!!!

 

 

ジギースターダストって、異星からやってきたスーパースターっていう設定だから

もっと宇宙感のある音楽かと思っていたんですよね。

でも、めちゃめちゃロックでした!!!

 

見終わってからググるデヴィッド・ボウイはロックスターって説明がありました笑。納得でした。

 

レッツ・ダンスのイメージもあったからかもしれないが、

もっと80年代的なSpace感のある不思議な音楽を想像していたので

逆にこのロックにやられました。

 

映画を見てからずっとデヴィッド・ボウイを聞いています。

 

あのChangesもデヴィッド・ボウイの曲だったんですね。

youtu.be

 

 

DAVID BOWIE、変化しつつづけたスターでした。

 

 

さて、ここから余談。

大島弓子の作品にヒー・ヒズ・ヒム』は完全にジギー・スターダストから影響を受けている作品ですよね。こちらに収容されています。

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

 

ぶっちゃけこのマンガのイメージが強かったので

余計にロックのイメージがなかったのはここだけの秘密です。

そのほかにもボウイについて触れている作品が多いですよね。

大島弓子さん、はまってたんでしょうね。

そのほかの作品は、こちらのサイトに詳しく紹介されています。

ziggystardust.cinewind.com

 

DAVID BOWIEのヴィジュアルが少女マンガ家に与えた影響は大きいでしょう。

 

 

また、ボウイと言えば日本ではBOФWYですよね(笑)?

BOФWYは暴威が由来と言われていますが、やはりDAVID BOWIEの存在は無視できないでしょう。

暴威・・・ヤンキーの漢字を当てる文化と

DAVID BOWIE・・・グラムロック、化粧して歌うロック

 

この魔合体がBOФWYでしょう。

日本のヴィジュアル系バンドの始祖に影響を与えたことは間違いない。

ヤンキーが化粧してロックする文化に影響を与えた。

 

DAVID BOWIEの存在を抜きにして日本のロックは語れないでしょう。

 

 

合掌。

『冤罪をほどくー”供述弱者”とは誰か』ーーー組織は冤罪を生むが、個人が冤罪をほどく

 

 中日新聞の大型記者コラム「ニュースを問う」の担当デスクしている著者。ネタ探しをしていた著者は滋賀県政担当記者・角雄記氏から西山美香さんのことを知る。知れば知るほど、冤罪ではないかという思いが募り、コラムのためにチームで取材をはじめる。

 中日新聞というマスメディアやそれぞれの個人がつながることで、冤罪事件がほどけていく。読み終わると静かな感動を広がっていた。

 組織の中でがんじがらめになっている人ほど読んでほしい一冊です。

 

 

冤罪をほどく: “供述弱者”とは誰か

 

 冤罪事件の湖東記念病院の殺人事件とは、

二00三年五月、滋賀県東近江市の湖東記念病院で入院患者の男性(七二歳)が死亡し、翌年、この病院で看護助手していた西山美香さん(逮捕時二四歳)が殺人容疑で逮捕され、懲役十二年の有罪判決が確定した。男性患者が装着していた人工呼吸器のチューブを「外した」と自白したのだ。

9

 

なぜ「自白」したのか

 詳細は本を読んでほしい。が、警察に誘導されたから言ってもなぜ「自白」したのか。

 中日新聞チームは、西山美香さんが発達障害なのではないかという見立てで調べていき、弁護士を介して精神鑑定を行った。すると彼女が発達障害であり、経度知的障害があり、愛着障害も重ねていた。この結果は、西山美香さんの担当弁護士も驚きだった。ボーダーの障害者はそのくらいわからりにくい。西山美香さんは両親に毎回、本の差し入れを頼む読書家だった。担当弁護士さんも高い知能だとは思っていなかったが、「経度の知的障害」だとは何十回も面談しても気付かなかったのだ。もし気づいていたら、弁護士がもっと前に精神鑑定を請求していただろう。

 そして、もちろん西山美香さんの両親も本人も気づいていなかった。。。本人に結果を伝えると納得していたそうだ。。。ずっと優秀な兄と比べられてきた。。。。職場でも怒られてばかり。。。

 中日新聞チームの提案で弁護士を経由して行われた精神鑑定。この結果を紙面に掲載するためには西山美香さん本人の許可が必要だ。本人の承諾を得たうえで、記事となる。このあたりのマスメディアの倫理も読み所でした。

 中日新聞チームの特集によって「供述弱者」の存在が社会に明らかになっていった。調べると他にも発達障害の冤罪事件は複数あったのだ*1

 

裁判長の決断

 実はこの本を読んで一番驚いたのは、再審開始決定を始めたのは、中日新聞の特集の結果では「ない」ことだ。再審開始決定の決め手となったのは、西山美香さんが供述弱者のため自白を誘導されたことが明らかになったことではなく、死亡男性の「カリウム数値」だった。死亡男性はもともと植物状態で人工呼吸器をつけられていた。それが「外されたことによる窒息死」とされたが、死亡診断書のカリウム数値が、既に自発呼吸が不可能な状態の数値だったのだ。

 ぶっちゃけ、そんな事実は一審の地裁でしっかり見ろよと言いたいが、警察も検察も裁判官も「自白」に引きずられて見落としてしまったのだ。。。杜撰過ぎるよ。。。

 ことなかれ主義がはびこる司法界においてなぜこの裁判長・後藤真理子氏は思いきった判断を出したのだろうか。私は、ここが読んでいて一番興味深かったです。

 実は、この後藤裁判官は、足利事件最高裁調査官だった。足利事件は記憶に新しいと思うが有名な冤罪事件である。

 

足利事件

ja.wikipedia.org

 

 1996年の最高裁に上告したときの最高裁調査官がこの後藤真理子氏だったのだ。彼女は、DND判定が「科学的妥当性に疑問を挟む余地はない」(235)とし、再審開始を棄却している。最終的に足利事件はこのDNA鑑定が間違っていたため無罪となった事件だ。

 実は彼女は、過去に冤罪を見逃した裁判官だったのだ。彼女には直接取材はできていないが、彼女の気持ちを思いはかることはできるだろう。二度と冤罪は生み出したくないという気持ちがあるからこそ、西山美香さんの裁判資料を余すことなく読み込んだのではないだろうか。そして、これまで見落とされていた「カリウム数値」に着目したのだ。

 西山美香さんの担当弁護士の井戸弁護士によれば、再審のための協議は陪審裁判官二名と裁判長の後藤真理子氏の三人の裁判官と行われるが、後藤裁判長が積極的に話し、他二人は同調しているように見えなかったという。最初は後藤裁判長の決断で、協議がすすむにつれ陪審員も同調していったという。二人の陪審員にとっても説得力のある内容だったのだろう。

 大阪高裁で後藤裁判長が再審開始決定の判決を出した翌日に、彼女は東京高裁に転任した。つまり、転勤前の大仕事であった。転勤前ならば、めんどくさいことをせず「棄却」すればラクだったろう。なぜわざわざ「開始決定」を出したのか。一つは先にあげた理由だ*2が、もう一つは「左遷されないため」の戦略でもあった*3

 裁判官の人事権は最高裁にある。任期中に「開始決定」をだせば自分のキャリアがどうなるかはわからない。自分の身の保身(キャリア)と冤罪を生まないという強い思いを秤にかけたギリギリの決断だった。タイミングはそこしかなかったのだろう。まぁ、冤罪にされた側にとってはたまったもんじゃない理由ですが。それでも、司法が動いたことは大きかった。また、協議制裁判だったから、陪審員二人は開始決定の過程を目の当たりに見ていた。後藤真理子氏は確実に種を蒔いただろう。


 ここまで触れてこなかったが、西山美香さんの担当弁護士である井戸謙一弁護士は元裁判官であり、志賀原発の原子炉運転差止請求事件で初めて請求を認めた裁判官だった。退官後は街弁をしていた。西山さんの父親は、第一次再審請求が却下され、引き受けてくれる弁護士を探していたが、なかなか見つからなかった。滋賀県の弁護士名簿であいうえお順にかけていって、ようやく会ってくれたのが井戸弁護士だったという。

 美香さんは、優れた司法関係者に恵まれた人でもあった。

 

その後の西山美香さん

 西山さんは解放された。その後はいろいろありますが、私が一番気になったことは、彼女は自分の病気を世間に紙面で知らされてしまっことだ。冤罪を勝ち取るためとはいえ、世間にカミングアウトしたわけだ。発達障害であり軽度知的障害者。。。。世間には隠しておきたかったことかもしれない。

 当事者はそのことをどう思うのだろうか。最後の章は胸を打ちました。詳細は読んでほしいけれど、彼女は自分の病気を受け入れてサポートを得て、以前より円滑に過ごすことができるようになった。病気の自覚がないときと比べると、本人が生きやすくなっている。そのことがなにより一番ほっとしました。

 

まとめ

 組織の論理は個人を押し潰すことがある。立件が目的の警察は、自白がとれたらそれに合わせて供述書を作る。警察や検察を自ら止める手だてはないだろう。それが彼らの組織原理なのだから。。。捜査員が内部告発すると「偽証罪」で逮捕される。1950年の静岡県二俣町一家殺人事件(二俣事件)で内部告発した捜査員は偽証で逮捕、精神鑑定で「妄想性痴呆症」と認定され免職*4されたという。。。

 しかし、今回の事件は、弁護士、裁判官、刑務所の刑務官、中日新聞の記者達の点と点がつながり冤罪をほどいていった。新聞は直接的に冤罪の決め手を提供したわけではないが、深く事件を掘り起こし、供述弱者がいかに作られていくのか明らかにした。そして、発達障害や軽度知的障害というのは本人だけでなく周りも理解していないことで、供述弱者を生み出す土壌を作っている。

 深く問題に切り込んだ中日新聞社の記者チームが提起した問題は、確実に社会を変えていくだろう。

 

 

(補足)

後藤真理子さんの記事があったので添付します。足利事件については特に記載無し。

 

 

www.sankei.com

*1:127ー138。発達障害者の男性の盗撮事件の冤罪について解説している。

*2:著者は足利事件の担当弁護士佐藤博史弁護士に取材して聞いた話

*3:著者は元東京高裁判事で、最高裁の調査官経験のある木谷明弁護士に取材して、この推測を聞いている

*4:299

『ネットいじめの現在ーー子ども達の磁場でなにが起きているのか』の感想ーーーいじめ問題研究の視座

 こちらの本は近畿圏の高校に大規模アンケート調査を行い、その結果をまとめたのがメインの本だ。

 最近のネットいじめの傾向は、00年代に見られた個人攻撃形は減少し、発信者が悪意なく投稿したものが読み手が悪意を感じで炎上するタイプが増加しているそうだ*1。よくみかけるのはLINE外しだそうです。

 

ネットいじめの現在:子どもたちの磁場でなにが起きているのか

 ネットいじめの調査については、文科省が毎年調査する「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査」の中にある「パソコンや携帯電話等でひぼう・中傷や嫌なことをされる」という項目で全国的な傾向が見られるそうです*2

www.mext.go.jp

 この文科省の調査では高校生だけでなく、小学生、中学生の傾向を把握できます。ちなみに、2019(令和元年)年のネットいじめの割合は小学生は1.2%、中学生が8.1%、高校生が約二割とのこと*3。なお、2020(令和2)の調査では小学生1.8%、中学生は10.7%、高校生は19.8%と増加傾向にあり、たった1年でも中学生の増加の割合が高いのがわかるだろう*4

 文科省の調査結果から高校生にとってネットいじめ2割を占め、身近なものになりつつあると考え著者らは2015年に近畿圏(京都府京都市滋賀県大津市)の高校生を対象にした大規模調査を実施した。このようにネットいじめを詳細に把握したデータは他に例が無いそうです(18ページ)。

 このネットいじめの大規模調査が明らかにしたことは、偏差値別に低中高と階層別に分けて分析すると、高→低に位置するほどネットいじめの発生率が高くなること、一方で非常に学力の高い学校群でもいじめ発生率が少し上がることを指摘します*5。この傾向は、常識的な範囲で理解できますよね。下位校でいじめが多いのはわかるし、上位校でも成績の悪いのをいじめるというのはわからないでもありません。

 また、著者ら学者にとって想定外だったのが、学力中位の学校群でもネットいじめ発生率が高くなることでした。このアンケート調査の醍醐味は、この点を明らかにしたことにあるのかもしれません。

 高校階層×ネットいじめ発生率のグラフ(40)では、低、中、高でWの形をしたグラフになります。偏差値40以下が発生率が高く、偏差値46ー50までは減少傾向、偏差値51ー55で発生率があがり偏差値61ー65まで減少傾向ですが、偏差値66以上ではまた上昇する。とはいえ、発生率の高い40以下、51ー55、66以上の三つの中ではネットいじめ発生率が高いのは40以下で66以上が最も低いのです。 

  ネットいじめの特徴としては、低学力校は誹謗中傷型で高学力校では個人情報晒し型が多いそうです。偏差値中位型でいじめが増加するのは、学力移動と関係するそうです(山内乾史「第4章若い世代のネット感覚についての考察」の「学力移動といじめ」)。

 アンケート調査の分析がこの本の大部分を占めるわけですが、個人的には、このデータが現しているものが、「ネットいじめ問題」なのか、ネットに限定しない「いじめ問題」の特徴なのか、その違いについて正直いってよくわからなかったです。

 それよりも終章いじめ研究の視座のほうが興味深かったです。社会学における、もしくは日本におけるいじめ研究史のような流れでした。対談形式だし、読みやすかったです。

 

いじめ研究の視座 

 「終章いじめ研究の視座」でインタビューされている松浦善満さんはいじめ研究の第一人者だそうです。日本のいじめ研究の草分け的研究が森田洋司が1985年に行った第一次いじめ調査だそうです。正式名称は、大阪市立大学社会学部研究室編『「いじめ」集団の構造に関する社会学的研究』で、科研費で行われたそうです。この松浦さんもこの調査に関わったそうです。そして、いじめ研究で有名な「いじめの四層構造」という枠組みが提案されたそうです*6

  この本ではいじめの四層構造については詳しくかかれていないのでこちらのサイトを参照してください。なにが画期的かというと、森田先生の概念提案前まで、いじめとは加害者ー被害者問題として受け止められていたが、被害・加害関係者以外に「観衆」「傍観者」がいることを示したことでした。観衆は加害行為をはやしたて、傍観者は見ているだけで止めに入らない。その構造を明らかにしたことが画期的だったそうです*7

maenoshinn.com

 森田の調査では、この四層構造が出ているクラスと、ぼやけているクラスがあったそうです。その違いについて松浦は下記のように語っています。

 

それは教師にいじめが見えているか、見えていないかですね。可視性の問題がそこにあるわけです。

先生方にも調査していますから、「知っていましたか」「見ていましたか」と。知らなかった、見えていなかったということを聞き取って、生徒のデータと対照しました。

216

 アンケート調査結果と聞き取り調査を組み合わせてこの概念を作り上げたわけですね。

 ここでキーポイントなのは、「先生」つまり大人の気づきがあるかどうか、先生がクラスの子ども達のことを「見えていない」「わかっていない」といじめは構造化、つまりいじめの状態が固定化することを示してます。構造化してしまうと、いじめ自体をなくすことは難しくなるでしょう。

 

「いじり」と「いじめ」のあいだ

 土井隆義「第10省 『いじり』と『いじめ』のあいだ」(166-205)の論文は、今の子どもたちの問い巻く環境の変化からいじめの眼差しも変化していることを指摘している。

 昔の子どもたちは、

まわりから既成の人間関係を強制されることに対して大きな不満を抱えていました。

親から、学校の先生から、地域の大人たちから、不本意な人間関係を強制されることに反発を覚えていました。

198

 しかし、最近の子供達は、

そのような関係を強制される場面は、皆無とは言いませんがかつてと比較すれば大幅に減ってきました。

社会の流動性が高まったからです。その結果、今度は逆に、自分だけが関係から外されてしまったらどうしようという不安感が強まるようになってきたのです。

198

 つまり、昔のように安定した、固定した関係で占められていた人間関係が減少し、流動化している。流動化、安定した人間関係の希薄化による不安感が子どもたちの背景にあるわけです。「人間関係に対するリスク感覚を強めてきた」(198ー199)。

 著者は、このリスク感覚の変化がいじめ問題の眼差しの構図にも大きな影響を与えていると指摘しています。

 昔は「自分の周りからいつも見られているという不満」(199)から監視される不満を抱えていた。これは見田宗介のいうところの「まなざしの地獄」*8だろう。しかし、今は「ままざしの地獄」ではなく「まなざし不在」*9による不安が高まっているいえる。

 「まなざしの地獄」への不満が強いときに求めるものはまなざしからの「自由」だった。しかし、「まなざしの不在」への不安が強いときに求めるものは「承認」だ。

 いまの子どもたちはこの「承認」を求めて「イツメン」(いつも一緒のメンバーの略語)とつるむ。イツメンとは

イツメンだからといって、必ずしもそれが親友であるとは限りません。略

イツメンとはリスクヘッジの手段だからです。

言ってみればこれは保険なのです。学校で、お互いにぼっちにならないために、保険をお互いに掛け合っているわけです。

保険には掛け金が必要です。ではイツメンという保険の掛金は何でしょうか。それは、お互いに配慮し合うことです。

例えば、特定の子だけと仲良くなって抜け駆けするのはまずい。これはご法度です。イツメンの中では、いわば等距離外交を行って、みんなと等しく仲良くなっていなければなりません。そうやって保険を維持していかないといけないのです。

182ー183

 今の子どもたちの状況をとてもわかりやすく説明しているのではないでしょうか。流動化している社会だからこそ、自由よりも承認を求めている。承認を得る戦略としてイツメンの人間関係を確保する。しかし、それは深く仲良くなることではない。むしろ深く仲良くなることは禁物だ。等距離を保てなければ、居場所がなくなるかもしれないからです。同じグループの中で、特定の子だけ懇意するとはぶられる可能性があります。今の子どもは本音を語る「親友」というものを作ることは難しい。

 このイツメンとの良好な関係を保つという状態は両義的なものでもあります。良い面としては承認を得ることができるが、しかしイツメンと「良好に保っていなければならないというプレッシャーが関係の病理を生み出し」(200)、いじめの温床にもなってしまうわけです。

 先に紹介したいじめの四層構造が明確に現れているクラスでは、自分のイツメンから仲間外れにされないようにするためにいじり/いじめをし、他のイツメンは傍観者として止めに入らないのでしょう。

 では、いったいどうすればいいのでしょうか。社会は流動化している。それは止められない。だからこそイツメンで周りを固めて安定させ、承認をえる戦略を子どもたちは選択するわけです。

 著者は、社会関係資本*10を持ち出し、今の子ども達に必要なのは「結束型」ではなく「架橋型」のつながりが必要だと主張します(201)。「弱いつながりの強さ」*11 のほうが、強い絆より柔軟な関係で、情報も入り、個人の可能性が広がります。あと、著者は突然、世阿弥の「離見の見」を持つように書いていますが、いやいや子どもがそれができたら、もう卓越した人ですよね。大人だって「離見の見」をできない人はいっぱいいるやろ、と突っ込んでしまいました。

 とはいえ、「離見の見」まで到達できなくても、「弱い紐帯」を造ることはできそうですよね。イツメンだけの島宇宙から脱出するには、結局これしかないわけです。

 個人的な感想ですが、ネットはいじめの場にもなるかもしれませんが、「弱い帯紐」を作る道具でもあります。また、学校という閉じた場ではイツメンに気を使い、本音を押し殺しているわけですが、直接会うこともないネットの知人には本音が言えたりするわけです。ネットはリスクもあるかもしれないが、流動化する社会にとって本音を語り合える唯一の場所でもあります

まとめ

 社会が流動化し、子供たちの取り巻く環境は変化している。「まなざしの地獄」から「まなざしの不在」*12に変化して、子どもたちが求めるものは「自由」から「承認」に変化した。子どもたちは承認をもとめてイツメンとつるみ「島宇宙*13化した。島宇宙同調圧力が強い。

 そのような状況の中で、大人(担任)の視線が不在になったクラスでは「いじめの四層構造」が固定化するといじめ発生率が高まる。

 いじめが起きにくい状況を作るためには、「いじめの四層構造」が生まれにくい環境を学校が提供すること、子どもたちが個人としてできることとしては「弱い紐帯」作りをすること、といったことになるでしょうか。 弱い紐帯作りは、家庭が子どもに提供することもできるでしょう。

 

 この本の感想としては、やっぱり「ネットいじめ」問題というよりは「いじめ問題」の本だよねって思いました(笑)。 

*1:37ページ

*2:18ページ

*3:18ページ

*4:上記サイトの令和2年度の調査結果概要を参照

*5:39ー40

*6:206ー207からまとめた

*7:213ー216ページ。「四層構造の誕生」を参考にまとめた。

*8:

まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学

*9:まなざしの地獄、まなざしの不在についてはこちらを参照してください。

kyoyamayuko.hatenablog.com

*10:著者はいきなり社会関係資本論をもちだしてきました(笑)。紙幅の関係上なのか、専門家向けに書いた本だからなのかはわかりませんが、社会観資本論についてはこちらをどうぞ。

ソーシャル・キャピタル - Wikipedia

*11:突然、著者はグラノヴェッターの弱い紐帯の話を出してきます。たぶんこの本は一般向けではなく、専門家に向けられた本だからなのでしょう(笑)。詳しくはこちらを見てください。

www.osamuhasegawa.com

*12:両方とも見田宗介の概念

*13:宮台真司の概念

なぜ中国の近代化は遅れたのかーーー『世界史とつなげて学ぶ中国全史』から学ぶ

 

 現代の中国を紐解くために明朝、清朝について書き足していきたい。なぜ中国は日本とは異なる近代化の過程を経たのかわかります。一昔前まで、なぜ中国は近代化できないのかという問いが社会科学の世界にありました*1岡本隆司さんの『世界史とつなげて学ぶ中国全史』は鮮やかに分析します。

世界史とつなげて学ぶ 中国全史

 

明朝から官民乖離がはじまった!

 明朝についてはこちらに記事を書きました。モンゴル帝国の崩壊で紙幣経済が崩壊し、明朝は物々交換まで退化します。モンゴル帝国の崩壊で民間は疲弊し、経済を大幅に縮小し、地域経済の疲弊を解消することが先決でした。そのため当初は物々交換も機能していたのですが、民間が回復して来ると、やはり物々交換は不便なので、非公式通貨として銀が流通するようになります。明朝は最後まで通貨の管理を行いませんでした。

kyoyamayuko.hatenablog.com

 

 明代の初めは権力が民間社会を掌握していましたが、民間の力が増大していきます。その結果、明朝政府は民間を掌握できなくなっていきます。清朝ではさらに民間乖離が進んでいきます*2

 

清朝の成立

 清朝満洲人が建国した国です。明朝は漢民族の政権であり、「華夷殊別」の方針でした。つまり漢民族が一番、蛮族は下です。でも清は満洲人の国なので明代の方針はとれません。清朝は「華夷一家」をスローガンにします。多民族による多元的な国を目指すわけです。スローガンの下に版図を広げ、明朝時代の全土に加え、モンゴルとチベットを帰順させました。モンゴル人がチベット仏教を信仰していたためチベットを取り込みました。また中央アジアの東半分も取り込みます。この時期の中央アジアムスリムです。つまり、清朝は多種多様な宗教と民族を支配下においた多元的な国家だったのです*3

 この指摘は盲点でした。清朝が多元的な国家というイメージが私にはまったくなかったのです。しかも、今に続くチベット問題や中央アジアムスリムウイグル人問題まで影響しているんですよね。

 清朝の統治も複雑です。一般的に満洲人と漢人の「直轄領」、モンゴル、チベットムスリムの間接統治の「藩部」、周辺の友好国の朝貢国の三種類に分けて統治したと言われているそうですが、著者いわく清朝は直轄領、間接統治を分けていなかったと主張しています。「華夷一家」の清朝は「因俗而治」(俗に因りて治む)で、それぞれの在地システムで統治が運営されていたそうです。最上部だけは清朝の皇帝が君臨する。それによって一つにまとめ相互にトラブルを起こさないようにしたそうです*4。五大種族のトップに立つ皇帝は名君でならなければならばかった。なぜなら暗君や暴君ならば他の種族から認められないからです。実際に名君というよりも、名君である装置として善政を標榜しないといけないという仕組みです*5

 

経済活性化による銀不足デフレとお茶貿易によるデフレ克服!

 明時代から継続しているが、経済活性化してくると銀が不足します。清朝は海外から大量の銀の調達をはかります。明代・16世紀の最大の調達先はなんと日本でしたが、ヨーロッパやメキシコ、フィリピンなどからも調達していたそうです!。グローバル!!

 しかし、18世紀にはいると、日本は金銀を採り尽くします。その結果、日本は「鎖国」に入り、輸入品を国内生産に切り替えていきます。江戸幕府鎖国にも理由がありました。また、ヨーロッパも寒冷化で不況に陥りヨーロッパからの銀が途絶えました。

 清朝は、日本やヨーロッパから銀が途絶えマネーサプライが乏しくなり、一大デフレに突入します!

 そんななか産業革命を経たイギリスが登場します。イギリスは都市部に労働者が急増し、お茶が流行ります。その茶葉のため中国と貿易を始めます。その結果、大量の銀が中国に流入します*6

 

究極の「小さな政府」清朝

 清朝は18世紀半ばには1億人弱だった人口が19世紀初頭には3億人を超えます!。人口が爆発的に増えました。それに対して行政都市や官僚機構の数はさほど増えていません。これの意味するところは、人口が増加に対して、行政の管理も権力の行使も行き届かない庶民が大量に発生したことを意味します。人口が三倍に増えたのに行政機関が増えなければそうなります。こうして官民乖離が進んでいきます。

 極度な「小さな政府」がする仕事は税金の取り立てと犯罪の取り締まりレベル。それ以外は民間任せになります。著者いわくこの官民乖離による民間任せの風潮は今日にも続く中国政治の基本スタンスなんだそうです(212)。現代の中国は中国共産党による監視国家のイメージが強いのですが、むしろ実態は逆で、管理できないからこそ民間任せ。でも、必要なときに厳しく取り締まり示しをつける。。。

 清の時代に増加してあふれた人口はついに東三省(領寧、吉林黒龍江)にながれ開発されます。大豆の一大産地になっていきます。このあたりが近代の日本に関わりが出てくるところですね。先取りしてはなすと清朝が倒れたあとは、聖地であり満洲人しか住めなかった「満洲」地域に大量の人が流れ込みます*7 。

 人口が増えると民間コミュニティが増大します。民間は自力でコミュニティを守ります。何もしてくれない政府に対して不満を募らせて、宗教に走ったり、秘密結社を作ります。政府が弾圧しても武装して反抗するまでになります。有名なところでは白蓮教徒の乱、太平天国の乱、義和談事変がおこります*8

 

経済的な分立で清朝もバラバラに

 ヨーロッパが金本位制を導入したことで、銀価格が下落します。銀安、つまり通貨安によって中国の輸出が増大します。これが経済を活性化し、中国地域の分業が進み、分立するきっかけになります。

 各地域は直接海外の国と取引するようになります。東三省は大豆製品をドイツ、日本へ、長江流域は商品作物をヨーロッパに、華中沿海は北米に。

 中国はもともと地域分業がすすみ国内で各地の物資を取引するシステムでした。しかし、19世紀後半になると取引先は国内ではなく、海外に変わっていきました。近代化を果たした欧米、日本の列強との取引を加速していきます。これにともない、各地域の地方官の総監・巡撫は権力をもつようになります。

 このあとは詳しく書きませんが、清朝阿片戦争で権威を失墜し、日本も琉球処分台湾出兵します。朝鮮は清の朝貢国でしたが離脱し、最終的に日本の植民地となります。ベトナムも清の朝貢国でしたがフランスの植民地になります。清朝は列強国に直轄値すら奪われていきます。清朝は西瓜が切り分けられて行くように「瓜分」されていきます。この「瓜分」危機からようやく国民国家の「中国」としてのアイデンティティが生まれます。でも時既に遅し。清朝は倒され、波乱の時代が続きます*9

 

なぜ中国の近代化は遅れたのか

 ようやく本題です。日本の社会科学の世界では、なぜ中国は近代化できないのかという問いとセットでなぜ日本はアジアの中で近代化できたのかというテーマがありました。今や懐かしい問いです。

 著者は官民乖離の程度の差の違いが大きいと主張します。日本は末端まで官僚機構が管理していますが、中国では管理しているのは一部であり官民乖離度合いが著しく大きいのです。日本は「官民一体」だが、中国は「官民乖離」している。

 実はヨーロッパの近代国家や国民国家とは「単一構造的な社会だからこそ生まれたシステム」(248)でした。多元的な中国社会にはそぐわないシステムでした。

 

明朝から中国の統治をバトンタッチした清朝の時代、とりわけ18世紀には、中国のみならず東アジアの全域の統合・平和が成し遂げられたかのようにみえました。

しかしヨーロッパの近代が加速してアジアへの進出を本格化させると、中国社会の多言構造はいっそう深刻かつ鮮明になりました。在地の勢力はますます増大して、「小さな政府」で在地在来に委ねる清朝的な統治方法では、けっきょく産業革命以後の近代に対応しきれなかったのです。

248

まとめると中国は多元過ぎて国民国家システムに適合しない。簡単には「一つになれない」からこそ、欧米や日本のように近代化が進まなかったと理解できます。

 そうすると現在の共産党がアピールする「一つの中国」というのは、歴史的に多元過ぎる中国の見果てぬ夢のように聞こえてきます。中国は永遠に「一つの中国」に向けて革命を続けているのかもしれません。それは常に分裂する、分立するかもしれない恐怖と表裏一体なわけですね。

 

(補論)宗教の効能と限界ーーアジアの視点

 著者は、多元的な社会を一つにまとめる試みとして宗教について触れています。多元的な社会を一つにまとめる手段が宗教です。

世界三大宗教と呼ばれるイスラームキリスト教、仏教は、いずれもアジア発祥です。

それはおそらく、多元性をまとめるための普遍性やイデオロギー、あるいは秩序体型を提供することが、アジアの全史を貫く課題だったからでしょう。

252

 

アジアのポイントは「一つの宗教・信仰に限定したわけではない」(252)ことです。清朝の皇帝のように、一人の君主が複数の宗教を奨励、信奉し、それぞれの地域の人々をつなぎとめて、共存させた。

アジア各地では宗教という普遍的なものも、多元的に存在してたのです。

252

重大な指摘だろう。ここがヨーロッパ諸国と根本的に異なるところだろう。

ヨーロッパで政教分離が成立したのは、そもそも社会も信仰も単一均質構造でまとまっていたからです。分離しても社会が解体、分裂しない確信が、その背後に厳存しています。

252

これを言い換えると「アジア史において政教分離は成立しにくい」(252)ということです。アジアは複数の普遍性を重層させないと安定した体制が存続できないことが多いのです。

 

 では、日本は?日本は島国ということもあって他のアジア諸国と比べると多元性は小さい。ヨーロッパ諸国のように単一均質構造*10だったと言えます。

 

 中国は、統合の象徴として儒教朱子学がありましたが、これは漢人イデオロギー・普遍性です。そのため、近代にはいると、儒教から「国民国家」、「一つの中国」が統一のシンボルとして代替していきます。

 

 外から見ていると中国は中国共産党が支配する「大きな政府」、「監視社会」というイメージが強いわけですが、もしかしたら実態は違うのかもしれませんね。常に分裂する危険性をはらんでいる。管理しきれない庶民がたくさんいる。「一つの中国」は多元過ぎて一つになれない中国の永遠の夢なのかもしれません。単一均質社会の日本に住む私たちには中国が裏腹に抱える不安には到底気づけないのかもしれません。

 

*1:裏返しの問いとして、アジアの中でなぜ日本だけが近代化したのかという問いがありました。今や古びた問題設定ですが。

*2:以上は184ー193を私なりにまとめました

*3:以上196ー201を私なりにまとめました

*4:以上200ー204から私なりにまとめた

*5:205ー206からまとめた

*6:イギリスは中国に外貨が流出するわけです。だから、かの有名な三角貿易をはじめます。インドで阿片を生産し、清朝に阿片を販売して銀を取り戻すわけです。詳しくはこちらをどうぞ。

kyoyamayuko.hatenablog.com

上記blogでは塩の道がでてきますが、この塩の道が阿片の道にもなるわけですね。

*7:詳しくはこちらを参照。

kyoyamayuko.hatenablog.com

*8:以上211ー216から私なりにまとめた

*9:以上217ー226から私なりにまとめました

*10:もちろん明治政府は多様だった地域社会を統一していくわけですけどね。あくまで他のアジアの国と比べると単一だったという話です

貨幣経済を否定したらどうなるか

岡本隆司のこちらの本は学びの多い本でした*1。まとめると大変なので最も興味深く読んだ点についてだけメモしたいと思います。まずはモンゴル帝国がどれだけ栄えて経済発展したのか、それに対してなぜ明は商業を否定する政策をとったのかをみていきたいと思います。

 

世界史とつなげて学ぶ 中国全史

 

モンゴル帝国の興亡

 モンゴル帝国勃興の背景には温暖化の影響があり、気候が暖かく農作物が育ち、人口が増加しました。クビライ・ハンは在位30年で統治システムを作り上げます。中央アジアウイグルの商業資本はモンゴル軍とタイアップしながらシルクロード上に経済範囲を拡大していき、ユーラシア大陸が貫通されます。

 拡大した経済圏によってモンゴル帝国では紙幣が普及していきます。従来は銀経済ですが、銀と紙幣を兌換させる方法を編み出し、紙幣経済に信用を与えます。これだけの規模で紙幣経済が成立したのはモンゴル帝国が初でした。紙幣の信用を支えたのは銀だけでなく塩とも紐づいていたそうです。当時の塩は稀少かつ誰も必要とするもののため価値がありました(塩政制度)。中国では唐や宋の時代から塩を専売にして原価に対して高額の税金をかけていて莫大な利益をえるのです。この塩専売を扱う商人も莫大な富を得ます。

 なぜ紙幣なのか?銅銭は重いが紙幣は軽い。軽いから便利なのです。銅銭で買い物するとそれだけの量を持っていく必要があり、物理的に重いし場所も取るし大変です。

 モンゴル帝国は紙幣経済によって発展し、広大な領域の経済圏を構築します。グローバリゼーションによって発展し、経済を支えたのがイラン系ムスリムウイグル人であり、彼らの行動をバックアップしたのがモンゴルやトルコ系の遊牧民によるモンゴル帝国の軍事力でした。

 しかし、地球の寒冷化によってモンゴル帝国は崩壊します*2

 

明朝の成立

 モンゴル帝国遊牧民と農耕民、商人と軍隊など多元的なユニットでを共存していました。民族も多種多様で混成な社会でした。それを可能にしたのは地球温暖化による恩恵と紙幣経済の技術の発達であり、それがグローバリゼーション経済を可能にしました。 

 しかし、寒冷化によってモンゴル帝国体制は崩壊します。寒冷化によって食料の奪い合いが起こります。交易によるメリットよりも自分たちの地域で食料を囲い込まざるをえません。中国の歴史、いや世界の歴史は寒冷化と温暖化によって農耕民と遊牧民の対立と融合の歴史を繰り返しています。

 明のターンでは、漢民族によって農耕民だけの分離・独立、「多元的な社会を『中華』と『外夷』に分断し、差別化すること」(155)です。著者は「『中華』とは空間的には、農耕世界」(155)のことだと言い切ります。

 明朝はモンゴル帝国への抵抗と否定が出発点とした政府です。しかし、国内にはモンゴル人も多数残っており、「モンゴル帝国が残した遊牧と農耕を結合する、あるいは文化経済と政治軍事を統合するベクトルと、両者を分離するベクトルとの間で揺れ動くことになります」(156)。

 

貨幣と商業の排除

 ようやく本題に入れます。モンゴル帝国の否定が基本の明朝の創始者朱元璋鎖国し、朝貢一元体制をとります。民間の貿易を禁止し、商取引をしたい人はこの朝貢手続きをとらなければいけなくなります。

モンゴル帝国の崩壊によって中国国内は以下のような状況になります。

 

基軸通貨だった紙幣は紙切れになり、貨幣や貴金属は退蔵されて市場の流通から消えました。その結果、経済は物々交換の世界に逆戻りしたところさえ出てきます。もちろん商業は壊滅的な打撃を受け、深刻な不況に直面していました。

159

 朱元璋は現物経済の状況をデフォとして財政経済政策を組み立てます。具体的には「土地からは農産物を現物で取り立て、人からはナマの労働力を提供させる」(160)という体制にしました。これが明朝の徴税の二本柱であり、貨幣を介在させないのが大きな特徴でした。この体制のありかたについて、

明朝が構想した経済財政に、商人や商業は登場しないということです。だから商業取引は存在しないし、貨幣も必要ない。いわば「農本主義」であり、「反商業」でした。 160

とまとめています。モンゴル帝国であれだけグローバリゼーションが広がり、紙幣経済が発達したのにも関わらず、現物経済にまで退化したのです!!!

 朱元璋も一応紙幣(大明通行宝鈔)を発行しました。しかし、モンゴル帝国のように銀や塩と紐づいていないのでただの紙切れにしか過ぎませんでした。そのため普及しません。明は現物主義、物々交換が主体のため普及しませんでした。

 この貨幣経済の否定は鎖国=外界との交通の遮断とも無関係ではなかったそうです。外国と貿易するためには外貨が必要であり、当時においてはその役割を果たしたのは貴金属、中国の場合は銀でした。しかし、明朝においては紙幣と銀は兌換しません。そのため市場に銀が出回ることはありません。市場に銀が流通すれば民間は外国と取引しやすくなりますが、銀の流通がないため取引自体が難しいのです。明朝はここまで考えて反商業主義、鎖国システムを選択したのです*3

 

南北格差の解消のために江南を弾圧!

 格差の解消には二通りの方法があります。一つは下を上にあげる方法、もう一つは上が下にあわせる方法です。もともと中国は気候が温暖な南が経済的に優位なのですが、朱元璋はまさかの方法を選択します。南を弾圧して、豊かさを減らすという選択です。ここも本を読んで衝撃を受けたところです。

 一般的には華北を江南に合わせて引き上げたほうが全体が潤うはずなのですが、明朝には引き上げる力がありません。江南を弾圧して貧しくさせ、華北の水準に合わせました。昔の共産党も似たようなことしていましたよね。。。朱元璋は過激な弾圧を行いますが、具体的には本を読んでください。これは単に反商業政策のためというだけでなく、豊かな南には有力者も多かったので有力者の弾圧という側面もあったそうです。江南の人々を露骨に差別、冷遇もしたそうです*4

 

そこまでしても南は豊かになり銀が流通しはじめる

 朱元璋は反商業のシステムを構築したわけですが、それでも江南デルタは綿花、生糸の一大産地となり、南は豊かになるのです。物々交換が基本の明朝ですが、現物経済はやはり不便なのです。民間で私鋳銭が流通するようになり、結局、非公式通貨として銀が流通するようになります。明時代から中国では地域別の通貨が流通するようになります。統一通貨が達成されるのは1930年代です。モンゴル帝国で銀兌換、塩兌換制の紙幣経済システムが発達しますが、明代には物々交換経済まで退化します。でも、やっぱり不便なので、民間の私鋳銭が地域ごとに発達し、結局、銀のレートで取引をするようになります。

まとめ

 そもそもモンゴル帝国が近代並の貨幣システムをそなえて経済発展したいこと自体が驚きでした。さらに、そこまで発達した貨幣経済が崩壊し、物々交換まで退化するなんて。。。

 中国共産党は一応共産主義であり、共産主義は資本主義社会を打倒としていますが、ある意味で中国では過去に一度そこまでの経験をしていたわけです。銀(塩)本位制紙幣経済が崩壊して物々交換しているわけですから。

 でも結局、経済が発展すると物々交換は不便なんですよね。本来ならばモンゴルのように国が通貨を管理するべきなのに、モンゴル帝国へのトラウマからなのか、明、清時代は結局、統一通貨は生まれません。漢民族だけでは、農耕民族のための経済システムだけでは、モンゴル帝国のようにはできなかったのかもしれませんね。

 1930年代に、中国国民党はイギリスの協力を得て統一通貨を実現します*5。詳細は注記を見てほしいですが、関東軍満州国は通貨政策に失敗し、戦争に負ける一因になりました。軍事力だけでなく、経済政策でも負けてしまうわけです。通貨政策は重要です。

 

 中国の歴史はすごいですよね。共産主義社会が来る前にすでに貨幣経済が失われた状態、物々交換経済を経験しているのですから。

*1:こちらの本もオススメです。セットで読むと知見が広がります。

中国史とつなげて学ぶ 日本全史

*2:以上、124ー151を私なりにまとめました。

*3:以上、154ー163を私なりにまとめました

*4:以上163ー169を私なりにまとめめました

*5:中国の統一通貨についてはこちらを参考にしてください。

kyoyamayuko.hatenablog.com

ウエスト・サイド・ストーリー

スピルバーグのウエスト・サイド・ストーリーを見ました。

 

有名だけど見たことがない映画でした。

 

www.20thcenturystudios.jp

 

 私がこの映画の存在を初めて知ったのは父が実家から持ち帰ってきた石森章太郎の『サイボーグ009』のマンガでした。このマンガに出てくる002ジェット・リンクでした。登場シーンはウエストサイドストーリーさながら、名前もジェッツからとってますし、飛べるサイボーグです(笑)。藤子不二雄の『まんが道』でも出てきたかな?トキワ荘界隈の漫画家に絶大な影響を与えた映画です。

 また、バーンスタインの音楽は有名でしょう。あの楽曲「アメリカ」がウエストサイドストーリーの曲だったのを知ったのは、スピルバーグ版のCMを見たからでした(笑)。

 

 多くの漫画家に影響の与えた作品だし、ロミオとジュリエットをモチーフにしたミュージカル作品だし、なによりバーンスタインの楽曲とダンスが素晴らしいからコロナで鬱々とした気分を吹き飛ばしてくれはずだ。楽しめると思って意気揚々と映画館へ向かいました。

 

が!!!

 

ちょっと想定した物語と違っていました。以下、ネタバレなので見に行く予定の方は注意してください。

 

 

 

 

 

ジェッツのトニー。敵はシャークでリーダーはベルナルド。ベルナルドの妹マリアと恋仲に落ちるわけですが、トニーはシャークのリーダーを殺してしまいます。

ベルナルドと妹マリアと彼女のアニータは一緒に暮らしています。家賃が高いので移民はルームシェアをする。

 マリアは兄を殺したトニーを恋は盲目ゆえ許します。アニータから町から出ていけと言われる。ここまでは理解できるんですよ。もちろん映画の感想のなかには兄を殺した奴と寝るか?という怒りの声もありますが、そこはロミオとジュリエットという設定だから許容できました。というか、それを前提にしないとこの物語は成立しないしね(笑)。

 問題はここからです。トニーと待ち合わせしたけれど、警察がマリアの取り調べに来てその時間にはいけない。だから、ベルナルドが殺されて悲嘆にくれるアニータに懇願してドクの店に行ってもらいます。マリアよ。。。兄を殺した敵の家に行けとおまえそれ言っちゃう問題です(おまゆう問題)。恋に盲目故の残酷さよ。

 アニータはトニーの家にいくとジェッツの仲間たちがいて、当然の如くレイプされます(おそらく輪姦です)。その結果、アニータは「マリアはチノに殺された」と嘘を伝えます。マリアのお粗末なお願いのせいでアニータは犠牲になります。

 最後、トニーは絶望してチノを探して殺してもらおうとするが、マリアがようやく現れて生きていることを知ります。知って喜ぶトニーですが、そこにチノが現れてトニーを銃で撃ち殺します。

 

 ロミオとジュリエットをモチーフとしているのでトニーは死ぬ運命なのは既知でした。問題はこのレイプです。映画を見て目が点になりました。

 このレイプ必要ある? え?なんでレイプされた?敵方に一人で乗り込むなんて無理ゲーやろ。。。そもそも自分の彼氏を殺したトニーなんかに会いたくない。マリアの頼みでも行きたくないし、マリアはトニーと別れるべきと思うから余計に行きたくない。それをなんでわざわざ行き、レイプされた?

 

えーーーー!?!?!?

 

という混乱した気持ちになりました(笑)。帰りにすぐググりましたが、オリジナルもアニータはレイプされている。つまりデフォ設定です。

 エンディングにはFor Dadとあったので、スピルバーグはウエストサイドストーリーが好きな父親のためオリジナル版をなるべく崩さないように作ったのだろうと思います。

 が、おそらくスピルバーグもこのレイプには疑問があったのでしょう。このレイプシーンを批判するために巧みに構成されていたことがわかります。まず、トニーの住まいであり働く場所であるドクの店のおばあさん役には、オリジナル版でアニータ役で出演したリタ・モレノが配役されています。つまり、オリジナル版でレイプされたアニータです。彼女はジェッツのメンバーをみてこう言います。要約です。

 

「あなたが赤ちゃんから大人になるまで見つづけてきたが、その子達はレイピストになってしまった」

 

 スピルバーグはレイプ批判するためにこの配役をしたのでしょう。物語の構造は壊さない、でも映画内で批判の声をいれる。

 また、ジェッツのリフの彼女はあまり出番がない中で、最後のレイプシーンでは迫真の演技をします。ジェッツメンバーの男達から女たちは店の外に締め出される。ジェッツの彼女達は外からドアを叩き、叫びます。いままでそこまで目立たなかった彼女がアップで映ります。リフの彼女がそこまで懇願するのはなぜか。立場が違えば自分が犯される側だからではないでしょうか。男の非情さを感じたからでしょう。女は獲物、トロフィー、お飾りに過ぎない。アニータとリフの彼女は敵同士であってもシスターフッドを感じる場面でした。

 

 ウエストサイドストーリーの物語の構造は単純です。でも、ロミオとジュリエットをモチーフにしているからこそアニータにすべての矛盾が詰まった話だと思いました。物語の構造上、パッセンジャーが必要で、その役割はアニータしかいなかった。だからアニータはレイプされる。物語の構造からレイプが生まれる。悲恋の最大の犠牲者はアニータでしょう。そのため、トニーとマリアの悲恋では泣けない。今の世の中ではこんな単純な物語は作れないでしょう。トニーとマリアがお馬鹿に見えるからです。

 

 個人的には、アニータがメッセンジャー役をしなくても悲劇は作れると思いました。レイプシーンを入れなくてもマリアが遅れて来る、そこでチノに殺されても悲恋は成立します。しかし、ロミオとジュリエットをモチーフにしているため、マリアは死んだと誤解させなければいけない(と脚本家は思い込んでいる)から、あの不思議なレイプシーンが生まれているのです。そして、当時はそこにあまり疑問をもたずレイプシーンが入れられました。

 なぜか。想像するに、あの映画に熱狂していたのは女性ではなく男性でした。スピルバーグの父親であり、男性の漫画家たちでした。つまり「男目線」の映画なのです。

 日本の男性漫画家たちが模倣したのは、最初のダンスシーンやナイフのケンカシーンです。あのグループ同士のケンカシーンが男性漫画家に与えた影響は大きいでしょう。男目線の映画だからこそ、アニータのレイプはあまり気にせず見ていたと思います。アニータのレイプの話は聞いたことがありません。

 あの映画をみて男性達が熱狂したのはグループ同士の戦いであって、悲恋でもないしレイプでもない。映画の最初、中盤の鮮烈なダンスと音楽が記憶に残り、最後の方はあまり記憶に残っていないのかもしれません。でも。。。私は最後にこそ衝撃を受けました。

 

 批判的に書きましたが、バーンスタインの音楽とダンスは絶品でした。物語ではなく、音楽とダンスを楽しむ映画かもしれません。あのダンスは斬新で、影響を受けたのはよくわかりました。

 

 

※ポリコレ的にレイプシーンは良くないからいれるべきではないという話ではなく、なぜこんなレイプシーンを入れたのか疑問に思ったので自分なりに考えて書きました。誤解なきようお願いします。

 

 

世界で一番美しい少年

 ベニスで死すで有名なあの少年のドキュメンタリー「世界で一番美しい少年」を見ました。伝説的な映画だし、あの少年の姿は誰もが一度は見たことがあるだろう。

 私にとって「タジオ」ことビョルンの知識は竹宮惠子『風と木の歌』のイメージくらいしかなく、少女マンガ家に影響を与えた程度の知識しかありませんでした。

 

gaga.ne.jp

 

 このドキュメンタリーに興味を持ったのは、少女マンガ家達が魅了された少年のその後が知りたかったこと、ネットの記事で少年が性的虐待を受けていたという記事をよみ、そこで興味をもったのです。

 例えばこちらの記事も「少年が性的搾取されてかわいそう」という内容です。

www.banger.jp

 

 でも、見終わったときの印象は違いました。前評判とまったく違う感想をもちましたね。被虐待児の再生物語として見るとミスリーディングなのではないでしょうか。

 なぜなら、ビョルン自体があの時代についてはおおっぴらに人に話しているからです。彼にはもっと口には出せない、奥深く閉じ込めているものがあるからこそ、アルコールに溺れ、うつ病にとなり福祉に依存して生きているわけです。その理由はあの映画だけのせいではないでしょう。理由の一つになるかもしれませんが、人に語ることができる出来事です。

 あの少年の美貌だけをみて中身(彼の気持ちや悩み)をみてくれない辛さは、アイドルの世界ではよくある話かもしれません。映画のおかげで/せいで一躍有名になり、自分の気持ちと掛け離れてみなが自分を追い求める。それを誰も守ってくれない。

 彼が憂いのある少年だった理由も説き明かされます。母親が10才でいなくなるからです。大人たちはいなくなった理由を子供達には話しませんでした(ビョルンには11ヶ月年才の妹がいる)。話せなかったのでしょう。大人も辛かったのだろうと思います。周りの大人も受け止めきれなかった。。。彼の育ちが、他の少年にはない憂いを醸し出す。監督は見た目の美だけでなくそこを含めて読み取ったのかもしれませんね。

 このアイドル化したことによるトラウマとは別に、彼が深く絶望し、鬱の底に沈んだのはもう一つの理由があります。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、彼は大切な者を失います。自分が大切な者、母親もその人も。。。。すべて失う。。。

 

 この映画の前評判は美しい少年が性的搾取された、というものでしたが、見終わったあとにはそういう感想にはなりませんでした。ビョルンが語れなかったものはそれではなかった。彼を闇に沈めたものはそれではなかった。映画の最後で語られます。

 

 

 しかし、生まれる前の話しなのでまったく知らなかったんだけどビョルンは日本で歌まで出していたとは!自分が想定していたより日本が熱狂していました(笑)。ベルばらのモデルもビョルンとはね!。ビョルンにとっては不本意な映画だったのかもしれないけれど、「ベニスに死す」が無ければ少女マンガがここまで展開したかどうか。ビョルンが日本に与えた影響は並々ならぬものがありますね。

 

youtu.be

 

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 Simple Joysさんのブログに、この映画について複数の記事があり、大変参考になりました。こちらの記事はこの映画監督のインタビューを翻訳したものです。

 

 ヨーロッパでは、この映画を見ると、両親のいない子供が、ヴィスコティらの映画関係者の大人から子供が守られなかった=虐待というように受け取っていますね。

 両親がいないから子供を守る人がいないというスタンスです。しかし、祖母は現場までついて行っています。だからビョルンの側に保護者がいないわけではないでしょう。むしろ、日本の芸能界でもそうですが、保護者も「ステージママ」化して映画関係者と一体化していくわけですよね。ビョルンの祖母のように。孫を大人たちから守るよりも映画関係者やスポンサーのいうことを聞いて差し出してしまうわけです。

 下記の記事では、日本についても触れています。ビョルンは祖母に言われて、行きたくないのにイヤイヤ日本に行きます。このときは祖母はついて行かず一人でした。。。ビョルンは日本には悪いイメージしかありませんでした。が、この映画でまた日本に訪れます。熱狂の渦に投げ込まれ、立て続けの仕事で何が起きているのかも把握できない。赤い錠剤を飲まされ、疲労を回復させる。。。。嫌な思い出しかなかった日本だったが。。。。映画とこの記事を読んでから、ビョルンの歌を聞いてみてほしいと思いました。 

 

clematisgarden.hatenablog.com