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『ネットいじめの現在ーー子ども達の磁場でなにが起きているのか』の感想ーーーいじめ問題研究の視座

 こちらの本は近畿圏の高校に大規模アンケート調査を行い、その結果をまとめたのがメインの本だ。

 最近のネットいじめの傾向は、00年代に見られた個人攻撃形は減少し、発信者が悪意なく投稿したものが読み手が悪意を感じで炎上するタイプが増加しているそうだ*1。よくみかけるのはLINE外しだそうです。

 

ネットいじめの現在:子どもたちの磁場でなにが起きているのか

 ネットいじめの調査については、文科省が毎年調査する「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査」の中にある「パソコンや携帯電話等でひぼう・中傷や嫌なことをされる」という項目で全国的な傾向が見られるそうです*2

www.mext.go.jp

 この文科省の調査では高校生だけでなく、小学生、中学生の傾向を把握できます。ちなみに、2019(令和元年)年のネットいじめの割合は小学生は1.2%、中学生が8.1%、高校生が約二割とのこと*3。なお、2020(令和2)の調査では小学生1.8%、中学生は10.7%、高校生は19.8%と増加傾向にあり、たった1年でも中学生の増加の割合が高いのがわかるだろう*4

 文科省の調査結果から高校生にとってネットいじめ2割を占め、身近なものになりつつあると考え著者らは2015年に近畿圏(京都府京都市滋賀県大津市)の高校生を対象にした大規模調査を実施した。このようにネットいじめを詳細に把握したデータは他に例が無いそうです(18ページ)。

 このネットいじめの大規模調査が明らかにしたことは、偏差値別に低中高と階層別に分けて分析すると、高→低に位置するほどネットいじめの発生率が高くなること、一方で非常に学力の高い学校群でもいじめ発生率が少し上がることを指摘します*5。この傾向は、常識的な範囲で理解できますよね。下位校でいじめが多いのはわかるし、上位校でも成績の悪いのをいじめるというのはわからないでもありません。

 また、著者ら学者にとって想定外だったのが、学力中位の学校群でもネットいじめ発生率が高くなることでした。このアンケート調査の醍醐味は、この点を明らかにしたことにあるのかもしれません。

 高校階層×ネットいじめ発生率のグラフ(40)では、低、中、高でWの形をしたグラフになります。偏差値40以下が発生率が高く、偏差値46ー50までは減少傾向、偏差値51ー55で発生率があがり偏差値61ー65まで減少傾向ですが、偏差値66以上ではまた上昇する。とはいえ、発生率の高い40以下、51ー55、66以上の三つの中ではネットいじめ発生率が高いのは40以下で66以上が最も低いのです。 

  ネットいじめの特徴としては、低学力校は誹謗中傷型で高学力校では個人情報晒し型が多いそうです。偏差値中位型でいじめが増加するのは、学力移動と関係するそうです(山内乾史「第4章若い世代のネット感覚についての考察」の「学力移動といじめ」)。

 アンケート調査の分析がこの本の大部分を占めるわけですが、個人的には、このデータが現しているものが、「ネットいじめ問題」なのか、ネットに限定しない「いじめ問題」の特徴なのか、その違いについて正直いってよくわからなかったです。

 それよりも終章いじめ研究の視座のほうが興味深かったです。社会学における、もしくは日本におけるいじめ研究史のような流れでした。対談形式だし、読みやすかったです。

 

いじめ研究の視座 

 「終章いじめ研究の視座」でインタビューされている松浦善満さんはいじめ研究の第一人者だそうです。日本のいじめ研究の草分け的研究が森田洋司が1985年に行った第一次いじめ調査だそうです。正式名称は、大阪市立大学社会学部研究室編『「いじめ」集団の構造に関する社会学的研究』で、科研費で行われたそうです。この松浦さんもこの調査に関わったそうです。そして、いじめ研究で有名な「いじめの四層構造」という枠組みが提案されたそうです*6

  この本ではいじめの四層構造については詳しくかかれていないのでこちらのサイトを参照してください。なにが画期的かというと、森田先生の概念提案前まで、いじめとは加害者ー被害者問題として受け止められていたが、被害・加害関係者以外に「観衆」「傍観者」がいることを示したことでした。観衆は加害行為をはやしたて、傍観者は見ているだけで止めに入らない。その構造を明らかにしたことが画期的だったそうです*7

maenoshinn.com

 森田の調査では、この四層構造が出ているクラスと、ぼやけているクラスがあったそうです。その違いについて松浦は下記のように語っています。

 

それは教師にいじめが見えているか、見えていないかですね。可視性の問題がそこにあるわけです。

先生方にも調査していますから、「知っていましたか」「見ていましたか」と。知らなかった、見えていなかったということを聞き取って、生徒のデータと対照しました。

216

 アンケート調査結果と聞き取り調査を組み合わせてこの概念を作り上げたわけですね。

 ここでキーポイントなのは、「先生」つまり大人の気づきがあるかどうか、先生がクラスの子ども達のことを「見えていない」「わかっていない」といじめは構造化、つまりいじめの状態が固定化することを示してます。構造化してしまうと、いじめ自体をなくすことは難しくなるでしょう。

 

「いじり」と「いじめ」のあいだ

 土井隆義「第10省 『いじり』と『いじめ』のあいだ」(166-205)の論文は、今の子どもたちの問い巻く環境の変化からいじめの眼差しも変化していることを指摘している。

 昔の子どもたちは、

まわりから既成の人間関係を強制されることに対して大きな不満を抱えていました。

親から、学校の先生から、地域の大人たちから、不本意な人間関係を強制されることに反発を覚えていました。

198

 しかし、最近の子供達は、

そのような関係を強制される場面は、皆無とは言いませんがかつてと比較すれば大幅に減ってきました。

社会の流動性が高まったからです。その結果、今度は逆に、自分だけが関係から外されてしまったらどうしようという不安感が強まるようになってきたのです。

198

 つまり、昔のように安定した、固定した関係で占められていた人間関係が減少し、流動化している。流動化、安定した人間関係の希薄化による不安感が子どもたちの背景にあるわけです。「人間関係に対するリスク感覚を強めてきた」(198ー199)。

 著者は、このリスク感覚の変化がいじめ問題の眼差しの構図にも大きな影響を与えていると指摘しています。

 昔は「自分の周りからいつも見られているという不満」(199)から監視される不満を抱えていた。これは見田宗介のいうところの「まなざしの地獄」*8だろう。しかし、今は「ままざしの地獄」ではなく「まなざし不在」*9による不安が高まっているいえる。

 「まなざしの地獄」への不満が強いときに求めるものはまなざしからの「自由」だった。しかし、「まなざしの不在」への不安が強いときに求めるものは「承認」だ。

 いまの子どもたちはこの「承認」を求めて「イツメン」(いつも一緒のメンバーの略語)とつるむ。イツメンとは

イツメンだからといって、必ずしもそれが親友であるとは限りません。略

イツメンとはリスクヘッジの手段だからです。

言ってみればこれは保険なのです。学校で、お互いにぼっちにならないために、保険をお互いに掛け合っているわけです。

保険には掛け金が必要です。ではイツメンという保険の掛金は何でしょうか。それは、お互いに配慮し合うことです。

例えば、特定の子だけと仲良くなって抜け駆けするのはまずい。これはご法度です。イツメンの中では、いわば等距離外交を行って、みんなと等しく仲良くなっていなければなりません。そうやって保険を維持していかないといけないのです。

182ー183

 今の子どもたちの状況をとてもわかりやすく説明しているのではないでしょうか。流動化している社会だからこそ、自由よりも承認を求めている。承認を得る戦略としてイツメンの人間関係を確保する。しかし、それは深く仲良くなることではない。むしろ深く仲良くなることは禁物だ。等距離を保てなければ、居場所がなくなるかもしれないからです。同じグループの中で、特定の子だけ懇意するとはぶられる可能性があります。今の子どもは本音を語る「親友」というものを作ることは難しい。

 このイツメンとの良好な関係を保つという状態は両義的なものでもあります。良い面としては承認を得ることができるが、しかしイツメンと「良好に保っていなければならないというプレッシャーが関係の病理を生み出し」(200)、いじめの温床にもなってしまうわけです。

 先に紹介したいじめの四層構造が明確に現れているクラスでは、自分のイツメンから仲間外れにされないようにするためにいじり/いじめをし、他のイツメンは傍観者として止めに入らないのでしょう。

 では、いったいどうすればいいのでしょうか。社会は流動化している。それは止められない。だからこそイツメンで周りを固めて安定させ、承認をえる戦略を子どもたちは選択するわけです。

 著者は、社会関係資本*10を持ち出し、今の子ども達に必要なのは「結束型」ではなく「架橋型」のつながりが必要だと主張します(201)。「弱いつながりの強さ」*11 のほうが、強い絆より柔軟な関係で、情報も入り、個人の可能性が広がります。あと、著者は突然、世阿弥の「離見の見」を持つように書いていますが、いやいや子どもがそれができたら、もう卓越した人ですよね。大人だって「離見の見」をできない人はいっぱいいるやろ、と突っ込んでしまいました。

 とはいえ、「離見の見」まで到達できなくても、「弱い紐帯」を造ることはできそうですよね。イツメンだけの島宇宙から脱出するには、結局これしかないわけです。

 個人的な感想ですが、ネットはいじめの場にもなるかもしれませんが、「弱い帯紐」を作る道具でもあります。また、学校という閉じた場ではイツメンに気を使い、本音を押し殺しているわけですが、直接会うこともないネットの知人には本音が言えたりするわけです。ネットはリスクもあるかもしれないが、流動化する社会にとって本音を語り合える唯一の場所でもあります

まとめ

 社会が流動化し、子供たちの取り巻く環境は変化している。「まなざしの地獄」から「まなざしの不在」*12に変化して、子どもたちが求めるものは「自由」から「承認」に変化した。子どもたちは承認をもとめてイツメンとつるみ「島宇宙*13化した。島宇宙同調圧力が強い。

 そのような状況の中で、大人(担任)の視線が不在になったクラスでは「いじめの四層構造」が固定化するといじめ発生率が高まる。

 いじめが起きにくい状況を作るためには、「いじめの四層構造」が生まれにくい環境を学校が提供すること、子どもたちが個人としてできることとしては「弱い紐帯」作りをすること、といったことになるでしょうか。 弱い紐帯作りは、家庭が子どもに提供することもできるでしょう。

 

 この本の感想としては、やっぱり「ネットいじめ」問題というよりは「いじめ問題」の本だよねって思いました(笑)。 

*1:37ページ

*2:18ページ

*3:18ページ

*4:上記サイトの令和2年度の調査結果概要を参照

*5:39ー40

*6:206ー207からまとめた

*7:213ー216ページ。「四層構造の誕生」を参考にまとめた。

*8:

まなざしの地獄 尽きなく生きることの社会学

*9:まなざしの地獄、まなざしの不在についてはこちらを参照してください。

kyoyamayuko.hatenablog.com

*10:著者はいきなり社会関係資本論をもちだしてきました(笑)。紙幅の関係上なのか、専門家向けに書いた本だからなのかはわかりませんが、社会観資本論についてはこちらをどうぞ。

ソーシャル・キャピタル - Wikipedia

*11:突然、著者はグラノヴェッターの弱い紐帯の話を出してきます。たぶんこの本は一般向けではなく、専門家に向けられた本だからなのでしょう(笑)。詳しくはこちらを見てください。

www.osamuhasegawa.com

*12:両方とも見田宗介の概念

*13:宮台真司の概念