阿片の中国史ーーー薬物依存は財政赤字を助く。富と流通のあだ花・芥子
趣味で中帰連や日本人戦犯関連の本を読み進め、その流れで東亜同文書院を知り、里見甫の本を読むことで中国の「阿片」問題がひっかかるようになりました。また、あれだけ蔓延した阿片はなぜ中国から消えたのか疑問でいっぱいになりました。中国の阿片問題の全体像を知りたい。
試しに譚璐美『阿片の中国史』を読んでみたら目から鱗が落ちる良書でした。中国の阿片史を簡潔かつ平易にまとめられたこれ以上の本には出会えないのではないでしょうか。
明時代においても阿片は富裕者の一部しか購入できない高級嗜好品だった。清朝時代、なぜあそこでまで阿片が蔓延したのだろうか。よく言われる説は、英国と中国の貿易では中国から茶を購入する英国が膨大な貿易赤字を抱えていたので、阿片を清に輸出したからだ、という説。有名な三角貿易だ。それはもちろん前提にあるが、それだけでは庶民にまで蔓延しない。
この本では流通に注目する。各時代の王朝は南から北へ通す大運河*1を拡充してきた。これは塩の道として使われた。つまり、中国の流通網がすみずみまで確立していたことを意味する。塩の道、流通が確立していたこと、これが阿片蔓延の前提にあることを指摘している。
阿片戦争で負けて西洋各国は阿片で大稼ぎする。中国にはそれだけの莫大な富があった。何代もかけて築いた富は一気に阿片に溶けていった。中国は大きな蜜のはいったパイ。西洋列強の各国はむさぼり食った。
辛亥革命がおき、群雄割拠する大陸。蒋介石の国民党時代となり、財政赤字から阿片マネーに依存する。青幣と手を結ぶ。青弊はもともと闇塩を輸送する組織。そう、塩の道つまり流通を制していた。流通を制するものが阿片を制するのだ。
日本の関東軍、満州国も阿片政策に取り組む。財政赤字を解消するための阿片生産。この本では詳しく書いていないが、関東軍や満州国は鉄路と空路で阿片流通を確保するのだ(詳しくは佐野眞一『阿片王』参照)。
つまり、国民党も関東軍&満州国も戦争資金は阿片マネーで稼いでいた。中国共産党も阿片栽培を手がけていたらしい。また、日本も西洋列強国も植民地運営に阿片マネーを利用していた。この本では「関東州の経営の25%の収入が阿片」とあり、イギリスの植民地の香港政庁の総収に占める阿片専売収は46.6%、シンガポール政庁は55%、フランス領インドシナでは42.7%。どんだけやねん。
これだけ阿片漬けの中国だったのに中華人民共和国が成立して3年後にはほぼ一掃される。なぜか。阿片禁止にして撲滅運動をしたから?確かにそれも一つの理由だ。でもそれは清時代だって、関東軍だって国民党だって建前はやっていた。ここまで徹底的に一掃されたのは流通が麻痺したからだ。阿片は消耗品。しかし、内戦で流通が確保できず、建国後は政治運動にあけくれ流通が長期的にストップしたのだ。結果として阿片が一掃された。
さて、ここで一つ疑問がある。なぜ日本は阿片漬けにならなかったのか。それは江戸幕府の施策もあったが、それより国際情勢の変化が大きい。イギリスは中国だけでなくクリミア半島の出兵もあり、日本に開国を迫っている場合ではなかったが、これは日本にとって幸運なことだった。ペリーが開国を迫り日米修好通商条約を締結したが、その条約の中には阿片許容量が決められており、それ以上の持ち込みは幕府が没収してよいという内容だった。この条項は米国から提案してきたのだ。この本ではなぜアメリカがそんな条項を自ら持ち出したのかよく分からなかったが、イギリスへの不満があったのかもしれない。これ以降、幕府がイギリスなど他国と締結するときは米国の条約を継承したのだ。イギリスが最初に締結したらどうなっていただろうか。
でも、阿片がそこまで普及しなかったのは、日本が中国ほど豊かではなく貧しかったからだ。中華人民共和国が阿片を一掃できたのは、流通寸断の長期化もあるが共産主義国になり貧しくなったからだ。貧しいと高級品の阿片は手に入らないし、庶民まで蔓延できないのだ。そう思うと中国は貧しくなることで阿片を一掃することができたのだ。皆同じく貧しくなることでしか阿片を手放せなかった。中国は近代化をすすめるためには共産主義国となり一様に貧しくなって阿片断ちをしなければいけなかった運命なのかもしれない。
※日本の阿片王里見甫についてはこちら
*1:京杭大運河