kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

『冤罪をほどくー”供述弱者”とは誰か』ーーー組織は冤罪を生むが、個人が冤罪をほどく

 

 中日新聞の大型記者コラム「ニュースを問う」の担当デスクしている著者。ネタ探しをしていた著者は滋賀県政担当記者・角雄記氏から西山美香さんのことを知る。知れば知るほど、冤罪ではないかという思いが募り、コラムのためにチームで取材をはじめる。

 中日新聞というマスメディアやそれぞれの個人がつながることで、冤罪事件がほどけていく。読み終わると静かな感動を広がっていた。

 組織の中でがんじがらめになっている人ほど読んでほしい一冊です。

 

 

冤罪をほどく: “供述弱者”とは誰か

 

 冤罪事件の湖東記念病院の殺人事件とは、

二00三年五月、滋賀県東近江市の湖東記念病院で入院患者の男性(七二歳)が死亡し、翌年、この病院で看護助手していた西山美香さん(逮捕時二四歳)が殺人容疑で逮捕され、懲役十二年の有罪判決が確定した。男性患者が装着していた人工呼吸器のチューブを「外した」と自白したのだ。

9

 

なぜ「自白」したのか

 詳細は本を読んでほしい。が、警察に誘導されたから言ってもなぜ「自白」したのか。

 中日新聞チームは、西山美香さんが発達障害なのではないかという見立てで調べていき、弁護士を介して精神鑑定を行った。すると彼女が発達障害であり、経度知的障害があり、愛着障害も重ねていた。この結果は、西山美香さんの担当弁護士も驚きだった。ボーダーの障害者はそのくらいわからりにくい。西山美香さんは両親に毎回、本の差し入れを頼む読書家だった。担当弁護士さんも高い知能だとは思っていなかったが、「経度の知的障害」だとは何十回も面談しても気付かなかったのだ。もし気づいていたら、弁護士がもっと前に精神鑑定を請求していただろう。

 そして、もちろん西山美香さんの両親も本人も気づいていなかった。。。本人に結果を伝えると納得していたそうだ。。。ずっと優秀な兄と比べられてきた。。。。職場でも怒られてばかり。。。

 中日新聞チームの提案で弁護士を経由して行われた精神鑑定。この結果を紙面に掲載するためには西山美香さん本人の許可が必要だ。本人の承諾を得たうえで、記事となる。このあたりのマスメディアの倫理も読み所でした。

 中日新聞チームの特集によって「供述弱者」の存在が社会に明らかになっていった。調べると他にも発達障害の冤罪事件は複数あったのだ*1

 

裁判長の決断

 実はこの本を読んで一番驚いたのは、再審開始決定を始めたのは、中日新聞の特集の結果では「ない」ことだ。再審開始決定の決め手となったのは、西山美香さんが供述弱者のため自白を誘導されたことが明らかになったことではなく、死亡男性の「カリウム数値」だった。死亡男性はもともと植物状態で人工呼吸器をつけられていた。それが「外されたことによる窒息死」とされたが、死亡診断書のカリウム数値が、既に自発呼吸が不可能な状態の数値だったのだ。

 ぶっちゃけ、そんな事実は一審の地裁でしっかり見ろよと言いたいが、警察も検察も裁判官も「自白」に引きずられて見落としてしまったのだ。。。杜撰過ぎるよ。。。

 ことなかれ主義がはびこる司法界においてなぜこの裁判長・後藤真理子氏は思いきった判断を出したのだろうか。私は、ここが読んでいて一番興味深かったです。

 実は、この後藤裁判官は、足利事件最高裁調査官だった。足利事件は記憶に新しいと思うが有名な冤罪事件である。

 

足利事件

ja.wikipedia.org

 

 1996年の最高裁に上告したときの最高裁調査官がこの後藤真理子氏だったのだ。彼女は、DND判定が「科学的妥当性に疑問を挟む余地はない」(235)とし、再審開始を棄却している。最終的に足利事件はこのDNA鑑定が間違っていたため無罪となった事件だ。

 実は彼女は、過去に冤罪を見逃した裁判官だったのだ。彼女には直接取材はできていないが、彼女の気持ちを思いはかることはできるだろう。二度と冤罪は生み出したくないという気持ちがあるからこそ、西山美香さんの裁判資料を余すことなく読み込んだのではないだろうか。そして、これまで見落とされていた「カリウム数値」に着目したのだ。

 西山美香さんの担当弁護士の井戸弁護士によれば、再審のための協議は陪審裁判官二名と裁判長の後藤真理子氏の三人の裁判官と行われるが、後藤裁判長が積極的に話し、他二人は同調しているように見えなかったという。最初は後藤裁判長の決断で、協議がすすむにつれ陪審員も同調していったという。二人の陪審員にとっても説得力のある内容だったのだろう。

 大阪高裁で後藤裁判長が再審開始決定の判決を出した翌日に、彼女は東京高裁に転任した。つまり、転勤前の大仕事であった。転勤前ならば、めんどくさいことをせず「棄却」すればラクだったろう。なぜわざわざ「開始決定」を出したのか。一つは先にあげた理由だ*2が、もう一つは「左遷されないため」の戦略でもあった*3

 裁判官の人事権は最高裁にある。任期中に「開始決定」をだせば自分のキャリアがどうなるかはわからない。自分の身の保身(キャリア)と冤罪を生まないという強い思いを秤にかけたギリギリの決断だった。タイミングはそこしかなかったのだろう。まぁ、冤罪にされた側にとってはたまったもんじゃない理由ですが。それでも、司法が動いたことは大きかった。また、協議制裁判だったから、陪審員二人は開始決定の過程を目の当たりに見ていた。後藤真理子氏は確実に種を蒔いただろう。


 ここまで触れてこなかったが、西山美香さんの担当弁護士である井戸謙一弁護士は元裁判官であり、志賀原発の原子炉運転差止請求事件で初めて請求を認めた裁判官だった。退官後は街弁をしていた。西山さんの父親は、第一次再審請求が却下され、引き受けてくれる弁護士を探していたが、なかなか見つからなかった。滋賀県の弁護士名簿であいうえお順にかけていって、ようやく会ってくれたのが井戸弁護士だったという。

 美香さんは、優れた司法関係者に恵まれた人でもあった。

 

その後の西山美香さん

 西山さんは解放された。その後はいろいろありますが、私が一番気になったことは、彼女は自分の病気を世間に紙面で知らされてしまっことだ。冤罪を勝ち取るためとはいえ、世間にカミングアウトしたわけだ。発達障害であり軽度知的障害者。。。。世間には隠しておきたかったことかもしれない。

 当事者はそのことをどう思うのだろうか。最後の章は胸を打ちました。詳細は読んでほしいけれど、彼女は自分の病気を受け入れてサポートを得て、以前より円滑に過ごすことができるようになった。病気の自覚がないときと比べると、本人が生きやすくなっている。そのことがなにより一番ほっとしました。

 

まとめ

 組織の論理は個人を押し潰すことがある。立件が目的の警察は、自白がとれたらそれに合わせて供述書を作る。警察や検察を自ら止める手だてはないだろう。それが彼らの組織原理なのだから。。。捜査員が内部告発すると「偽証罪」で逮捕される。1950年の静岡県二俣町一家殺人事件(二俣事件)で内部告発した捜査員は偽証で逮捕、精神鑑定で「妄想性痴呆症」と認定され免職*4されたという。。。

 しかし、今回の事件は、弁護士、裁判官、刑務所の刑務官、中日新聞の記者達の点と点がつながり冤罪をほどいていった。新聞は直接的に冤罪の決め手を提供したわけではないが、深く事件を掘り起こし、供述弱者がいかに作られていくのか明らかにした。そして、発達障害や軽度知的障害というのは本人だけでなく周りも理解していないことで、供述弱者を生み出す土壌を作っている。

 深く問題に切り込んだ中日新聞社の記者チームが提起した問題は、確実に社会を変えていくだろう。

 

 

(補足)

後藤真理子さんの記事があったので添付します。足利事件については特に記載無し。

 

 

www.sankei.com

*1:127ー138。発達障害者の男性の盗撮事件の冤罪について解説している。

*2:著者は足利事件の担当弁護士佐藤博史弁護士に取材して聞いた話

*3:著者は元東京高裁判事で、最高裁の調査官経験のある木谷明弁護士に取材して、この推測を聞いている

*4:299