日本の通貨制度ーー江戸から戦前まで・金本位制の導入と廃止ーー
近世から近代へ。開国した日本にとって海外の国と貿易するリスクと直面することになります。江戸時代は米本位制で総じて安定した物価でしたが、開国したとたん金銀為替格差により、日本から国外へ金が流出して極端なインフレが起こり、物価が不安定になりました。
開国、海外と貿易するということは常に為替の問題が生じます。当時の国際的な基軸通貨は金であり、金本位制の導入は先進国の証でもありました。しかし、日本はこの金本位制に振り回されます。最終的に高橋是清が二二六事件で暗殺され、金本位制、国際為替事情がわかる人がいなくなります。軍部は金本位制を法的に廃止し、円元パー政策を実施しますが、日本の正貨が大量の中国へ流出することになりました。日本は軍事的に敗戦しただけでなく、経済的にも敗戦することになりました。
今は無き「金本位制」を理解するために、松元崇さんの本をまとめました。3回シリーズです。
下記のblogでは、主に財政史から日本の戦争への道をまとめたものです。金本位制はややこしいのではしょった部分があるので、今回は金本位制についてをまとめました。合わせて読むと理解が深まりますが、私のblog長文を読むより、松元崇さんの本を読んだほうがてっとりばやいかもしれません(笑)。
日本の通貨制度③金本位制の導入、廃止、そして「円元パー」政策の失敗ーーー松元崇『持たざる国への道』第二部軍部が理解しなった金本位制
前回は日本銀行を設立し、銀本位制を確立し、通貨がようやく安定したところまでまとめました。ここから金本位制の導入です。これが苦難の道なんですよね。
今回も松元崇さんの本についていきたいと思います。
金本位制の導入ーー「正貨流出問題」の発生
明治30年に金本位制が導入される。当時は経済界や福沢諭吉など反対するものも多かったという。というのも、日本は銀本位制の下で銀の価格低下で「円安」のメリットを受けていた。輸出する企業にはメリットはあったのだ*1。
それでも金本位制が導入されたのは、松方正義が欧州諸国が導入している金本位制を採用することが、日本の経済成長の基礎になるとして押しきったからだそうだ*2。金本位制は、特定の国の通貨価値に左右されない「金」を各国が本位通貨として採用することで安定した貿易や自由な資本移動を保証するもので、経済発展の基礎として最も重要なものと認識されていた*3。
また、日本が金本位制を導入した明治30年の直前に南アフリカで大規模な金鉱山が発見された。これまで金不足世界的にデフレ時代だったが、金鉱山の発見でデフレが終焉した。南アフリカの金産出量は二十世紀初頭で全世界の40%を占めたという。日本の金本位制はこのようなタイミングで導入されたのは幸運だった*4。金本位制の採用は先進国の証明だと考えられていた。
しかし、先進国ではない日本の金本位制の導入は大きなコストをもたらすことになった。発展途上国の貿易収支は一般的に赤字になりがちだ。外資導入で赤字が抑制できなければ、金本位制を守るために緊縮財政や金利引き上げで国内の景気抑制で輸入を押さえなければいけなくなる。これが、金本位制を導入して生じた「正貨流出問題」であった*5。
金本位制の停止と関東大震災
1914年に第一次世界大戦がはじまり、英国をはじめ欧米諸国が金本位制を停止する中、日本も1917年に金本位制を停止した。戦争が終わると欧米諸国は金本位制の再開を目指したが、日本も復帰しようと模索した。しかし、1923年に関東大震災で国民総生産の三分の一に相当する甚大な損害を被り、金解禁どころではなくなった。
関東大震災による財政、経済の影響についてはこちらをどうぞ。
日本は1930年にようやく金本位制に復帰する。蔵相は井上準之助であった。しかし、金本位制の復帰が旧平価で行われたことで日本国内は深刻な不況に突入した。日本は第一次世界大戦の好景気で経済が発展したものの、関東大震災の甚大な被害で旧平価に見合うだけの経済力を失っていた*6。
旧平価で金解禁を行うためには、輸出急減・輸入急増で正貨流出を招かない体質にする必要がある。具体的に言うと、国内経済を緊縮財政と国民の消費節約にしてデフレ政策にし、人為的に為替レートを大幅に切り上げる必要があった*7。
さらに追い打ちをかけたのが世界恐慌だった。この状態で金解禁を続けることは、経済が悪化しているのにデフレ政策をせざるをえず、景気回復策がとれないことを意味する。景気悪化する中、政治不安も高まりm若月内閣が倒れ、犬養内閣が組閣、蔵相は高橋是清に。昭和6年に金本位制の再離脱を実施する。
高橋蔵相は金の輸出を禁止して為替レートを実力相応に引き下げるとともに、保証発行屈伸制限制度の管理通貨機能をフルに活用した。金本位制の離脱で思いきった積極財政や大幅な金利引き下げを可能にし、保証発行屈伸制限制度の活用で通貨の保証限度額がそれまでの1億2000万円から10億円まで大幅に引き上げられた。これらによって金本位制によるデフレ脱却をはかった*8。
井上蔵相による金解禁によって大量の金が国外に流出した。昭和5年末には約8億3700万円あったが、昭和7年末には約4億2600万円と半減した*9。正貨準備発行だけでな通貨発行量を大幅に減少せざるをえず、デフレを深刻化させない状況なのがわかるだろう*10。
高橋是清の暗殺と金本位制の廃止
高橋是清の金本位制離脱は、急激なデフレによる景気悪化の回避策であって金本位制に否定的ではなかったそうだ*11。高橋が大切だと考えていたのは安定した国際通過制度としての金本位制であって、金本位制を維持することに固執するわけではなかった。「英国の金本位制の可能性に備えて国内の金本位制を残しておく」(3282/4403)という高橋是清の考え方は、周囲に理解されないまま二・二六事件で暗殺される。
対米海鮮の危機が高まった昭和16年2月には「兌換銀行券条例の臨時特例に関する法律」が制定、金本位制が法律上も正式に廃止された。昭和17年の日本銀行法によって「従前の兌換銀行券は本法による銀行券とみなす」とされ、非兌換の日本銀行券へ切り替わられた*12。特に混乱は無かったそうだ。
金本位制の復帰、再離脱は国民の目から見るとどのようなものだったのか。
一般の国民には通貨政策上の大きな変更が行われたとは認識されなかった。
一般の国民が認識したのは、井上蔵相の下でデフレ不況になり、高橋蔵相の下でデフレ不況から脱却したということだけであった。
それは金貨が流通しない金本位制に慣れ親しんできた日本人にとって無理もない話であった。
3290/4403
しかし、国民が通過制度えお理解していない弊害は大きかった。
井上準之助も高橋是清も日本経済の発展のために金本位制が大切だと考えていたことや、高橋是清が戦争といった国家存亡の危機に備えて安定した国際通過制度(例えば、金本位制)に加わっておくことが不可欠だと考えていたことも忘却されていってしまった。
それは金がなくては戦争は出来ないということが忘れられてしまったことでもあった。
3290/4403
井上蔵相、高橋蔵相の暗殺によって通過制度を深く理解できる人が失われた。それは経済合理性から通過制度を考えることのできる人を失ったことを意味した。金本位制を理解できない群舞が暴走し、経済的にも敗戦することを意味した。
「円元パー」政策ーー経済合理性なき「円通貨圏構想」の強行
「円通貨圏構想」は、もともと第一次世界大戦中に寺内内閣の勝田蔵相によって構想されたものだそうだ*13。第一次世界大戦の勃発で英国の金本位制停止は、ロンドンに在外正貨の大半を置いていた日本の為替決済を困難にさせた*14。そこで日本はアメリカのニューヨーク市場で決済を行おうとしたが、アメリカも金本位制を離脱し、ニューヨーク経由のドル為替決済も機能不全に陥った*15。そのような中で、日本の主要な貿易相手国が集中していたアジア地域での独自の為替決済の仕組みとして構想されたものであった*16。
しかし、各国が金本位制に復帰したことで、この構想は一旦、お蔵入りした。しかし、世界恐慌後。再び各国が金本位制から離脱した。英国がスターリング・ブロックを形成したことで、日本の軍部が円ブロックを構築しようと模索した。スターリングブロックは、ポンド決済が困難になり、日本からの綿製品輸出に対して差別的な関税や輸入制限を行い、東南アジアから日本製品を排除しようとした*17。
円元パー政策と、その後軍部はどのように経済的にも敗戦するかはこちらをどうぞ。
円元パー政策は失敗し、日本の正貨は中国へ大量に流出しました。
<年表>
明治02年05月 太政官札と新紙幣交換の布告
明治04年05月 新貨幣条例
明治05年04月 明治通宝(不換紙幣)、発行
明治05年11月 国立銀行条例(金兌換紙幣)、制定
明治07年09月 江戸時代からの通貨禁止、太政官札と明治通宝と交換
明治08年 国立銀行券の兌換廃止を政府に陳情
明治09年 国立銀行券の兌換停止
松方デフレ政策(明治19年頃からインフレ収まり景気回復)
大正06年 金本位制、停止(第一次世界大戦で各国が停止したため)
昭和02年 昭和の金融恐慌
昭和04年 暗黒の木曜日(米国株式大暴落)、世界恐慌のはじまり
昭和16年 兌換銀行券条例の臨時特例に関する法律が制定、金本位制廃止
日本の通貨制度②明治の通貨制度、日本銀行設立まで(銀兌換紙幣の発行)ーーー松元崇『持たざる国への道』第二部軍部が理解しなった金本位制
こちらのblogの続きになります。江戸から明治へ。いったい何が起こったのか。
松元崇さんの本をまとめていきます。
太政官札の価格維持
幕末の金の大量流出で、明治維新政府が通過政策として最初に取り組んだのが、太政官札の価格維持だったそうだ。もともと太政官札は戊辰戦争の戦費を賄うために大量に発行された。しかし、価格下落に見舞われた。下落に目を付けたのが外国商人であり、太政官札を安値で購入し、政府に兌換させて利益を得ようとした。それに対して、政府は価格維持で対抗した*1。
明治二年5月、政府は準備中の新貨幣との額面での交換を約束する布告をだした*2。政府は積立金を創設し、積立金で紙幣や公債を回収して国家の予備とすることにしたそうだ。この積立金は、政府紙幣や公債の信用維持を目的とする準備金に改められた*3。
「円」の誕生ーー通貨制度の切り替え
松方正義は、明治二年3月、通過制度の乱れを正す必要があると強調した。当時の日本は、徳川幕府から引き継いだ両、分、朱を単位とした金銀副本位制の貨幣制度と、多くの藩札、開国によってメキシコ銀などの外国通過(洋銀)が流通していた。洋銀は、本来、貿易のために開港地に限定して流通を認められたものであったが、相当程度、全国的に流通するようになっていったそうだ*4。洋銀が国内で流通するほど混乱していたと言えるだろう。
明治4年5月、大隈重信は新貨幣条例を制定する。これは藩札の廃止、両、分、朱の4進法を廃止し、10進法の金本位制を採用した。1円=1米ドル(金1.5g)とされた。しかし、政府には金準備がなかったことから、新貨幣条例に基づいて鋳造された金銀は、民間から金の持込みに応じたものに限られた。そのように鋳造された金貨も、その多くは海外に流出していった。その背景には、普仏戦争以後の国際的な金本位制への流れの中で金の価格が上昇したことがある*5。
そのような状況の下で、国内で広く流通することになったのは、明治5年4月から政府が発行した不換紙幣の明治通宝だった。明治通宝は、贋の太政官札を一掃する目的で発行された不換紙幣だった。贋札を防止するために当時の最新の印刷技術を使い、ゲルマン紙幣とも呼ばれたという。明治7年9月にはそれまで流通していた江戸時代からの旧通貨の大部分が禁止され、太政官札とゲルマン紙幣の交換も終了すると、幅広く流通することになった*6
とはいえ、旧通貨、永楽宝などの銭はなんと昭和28年末まで通用したんだって!驚きですね。
国立銀行条例ーーー金兌換発行の試みと挫折
明治通宝の発行によって藩札や太政官札を整理することはできたが、洋銀の整理はでいなかったそうだ。不換紙幣の明治通宝で外国商人が国際貿易で利用する外国通貨い代えることは無理だった。
そこで、政府は、政府の発行していた不換紙幣の明治通宝に代えて民間金融機関に金兌換の銀行券を発行させて外国通貨を一掃しようとした。明治5年11月に国立銀行条例
を制定し、「国立銀行」に金兌換銀行券(国立銀行券)を発行させることにした。「国立」とあるが公的銀行ではなく、民間金融機関だそうだ*7。
四つの国立銀行が設立された。資本金の4割が正貨で、残り6割を政府紙幣で払込して設立、払い込まれた政府紙幣を政府に供託して同額の金札引換公債を受け取り、その金札引換公債を担保に大蔵省紙幣案が印刷した銀行券の交付を受けて兌換国立銀行を発行するというものだった*8。
しかし、このように発行された金兌換の国立銀行券は、発行されると即座に金に兌換され、交換された金が国外に流出した。そのため国内でこの国立銀行券は流通しなかったのだ。背景には、世界的な金価格上昇が続いていたことがあった。
その結果、国立銀行は経営難に陥った。そりゃそうですよね。金に兌換されて国外に流れていくんだから。そのため明治8年には兌換制度の廃止を政府に陳情し、明治9年に兌換が停止された。結局、市中で流通していたのは明治通宝と洋銀だった*9。困ったものです。
しかし、国立銀行券が流通しなかったにも関わらず国立銀行の設立が続きました。背景には秩禄処分がありました。秩禄処分による金禄公債の交付額は1億7464万円に上ったため、それが一時に市中に出回ると価格の暴落が予想されました。そのため政府は国立銀行の設立要件を緩和*10し、金禄公債証書を資本に銀行を設立することを勧奨したそうです。その結果、153行の国立銀行が設立されました。
国立銀行以外の民間金融機関は「私立銀行」と呼ばれていた。三井組、安田商店と呼ばれていたが、国立銀行の兌換を停止した明治9年の国立銀行条例改正によって私立銀行も「銀行」の名称使用が認められるようになったそうだ*11。改正後に設立された第一号が三井銀行だった。その後、私立銀行は明治29年には1000行を超え、ピーク時の明治34年には1890行まで増えた。ここまで増えた背景には、江戸時代以来の両替商の伝統があったからだという*12。
明治15年に日本銀行が設立される。日銀にのみ発行銀行の権限を与えたことで、国立銀行からは不換紙幣の発行権が消滅し、国立銀行と私立銀行の違いがなくなるのだった*13。
西南戦争による激しいインフレ!ーーー松方デフレと日本銀行の創設
激しいインフレと松方デフレ政策
明治政府に危機が訪れる。西南戦争の膨大な戦費で通貨危機に見舞われた!。西南戦争の戦費は、当時の国家予算である明治10年の歳出額4800万円に匹敵する4157万円に上った!。西南戦争語には激しいインフレーションが発生した。また、明治通宝の新任が失われ「銀紙の格差」が生まれた。銀紙の銀とは洋銀、紙とは明治通宝のことである。国内で洋銀と明治通宝の為替リスクが生じたような状況に陥った。一定の価格で販売する契約に基づいて製品を作っても、製品が出来上がった時の実質的な手取りがいくらになるのかが見通せない事態になった*14。これは困りましたね。今のロシアみたいな状態です。
ここで登場するのが松方正義のデフレ政策だった。日本史でも出てくる松方デフレですね。松方蔵相は明治15年度の予算から3年間、対前年比据置く緊縮財政を行った。その結果、明治17年には恐慌状態となり、倒産が続出。米価下落し、農民は困窮した。秩父困民党事件などの騒擾事件が起こり社会不安が広がった*15。
強硬なデフレ政策により、インフレが収まり、銀・紙の格差が解消された。その結果、退蔵されていた銀貨が市場に戻り、通貨供給量が予想外に増え、それが景気を押し上げることになったそうだ。インフレの収束と実質通貨供給量の増大は金利低下をもたらし、それが投資を刺激した。明治19年以降は会社設立、株式投機ブームが起こり、東京と大阪の株式市場で取引されるようになったという*16。
日本銀行の設立ーー銀兌換券の発行
松方正義蔵相がデフレ政策と並行して行ったのが日本銀行の設立による銀兌換券の発行だった。日本は、国外に流出しやすい金兌換券ではなく、銀兌換券を発行した。銀は金に比べて安く輸出産業にもメリットがあった。銀兌換券の発行によって明治政府は、ようやく徳川幕府体制下の通過制度に代わる安定した国内通過制度を確立することができた*17。
日本銀行による日本銀行券(銀兌換券)の発行は明治18年にはじまり、明治21年には通貨発行の基本原則である保証発行屈伸制限制度*18が定められた。
日本銀行券は、①金銀貨および地金銀を兌換準備とする正貨準備発行、②国際、大蔵省証券その他償還の確実な証券または商業手形を保証する一定限度額までの保証発行(当時の限度額は7000万円)、③必要に応じ、発行税を納めた上で大蔵大臣の許可を得て行う制限外発行の三種類の形態で発行されることになった。①は銀本位制そのもの、②は今日の世界各国の中央銀行が行っている通貨発行の手法。そして、③の制限外発行は現在では「非伝統的な金融政策」と言われるものであり、リーマンショック時に米国の連邦銀行が行った手法である。この③の手法は、当時の諸外国のどこにもない日本独自の特色のある制度だった*19。
金とは異なり、誰も兌換を求めてこない銀兌換は、江戸時代の藩札と同じ感覚で準備した以上の通貨発行を行えるとの判断がそこにはあった、という*20。正貨準備に国内保有に成約されることなく経済状況に応じた通貨の国内供給の増加を可能にした。
<年表>
明治02年05月 太政官札と新紙幣交換の布告
明治04年05月 新貨幣条例
明治05年04月 明治通宝(不換紙幣)、発行
明治05年11月 国立銀行条例(金兌換紙幣)、制定
明治07年09月 江戸時代からの通貨禁止、太政官札と明治通宝と交換
明治08年 国立銀行券の兌換廃止を政府に陳情
明治09年 国立銀行券の兌換停止
松方デフレ政策(明治19年頃からインフレ収まり景気回復)
*1:3032/4403をまとめた。
*2:本署脚注2によれば、布告の1ヶ月前にこの情報をキャッチして金札を下がっていた時下で買い集めて財をなしたのが、元富山藩士の安田善次郎だったそうだ。3318/4403
*3:3032,3041/4403
*4:3041/4403
*5:3051/4403
*6:3051,3061/4403
*7:3076/4403からまとめた。
*8:3085/4403からまとめた。
*9:3097/4403からまとめた。
*10:設立要件から正貨保有の義務が無くなり、資本金の8割まで金禄債権などの公債を政府に供託し、残り二割を政府紙幣を保持すればよいとされた。
*11:3097,3108/4403からまとめた。
*12:3108,3120/4403からまとめた。
*13:3120/4403
*14:3131,3140/4403
*15:3150/4403
*16:3150,3163/4403
*17:3163/4403
*18:この制度を導入した富田鉄之助日銀総裁は高橋是清と同じ仙台藩出身だった。諸外国になかった保証発行屈伸制制限度をど導入した富田は江戸時代以来の実務を重視した人だったそうだ。
注については3186/4403
*19:3174/4403
*20:3174/4403
【訂正】対幻想からの解放とありのままの他者の受容ーーードライブ・マイ・カー
※sumita-mさんからのご指摘があり、「共同幻想」を「対幻想」に訂正します。ご指摘ありがとうございました*1。概念は原著確認して丁寧に使いたいと反省しました。
二度目のドライブ・マイ・カー。
3時弱の映画を2回も見るって2時間映画を三本見ることができるんですよね。
1回目は長いと感じた映画ですが、二回目はあっという間でした。
これは不思議な体験でした。
物語を知っているからこそより深く映像を堪能できる。
映画の劇中にもありますが、繰り返すことでテキストを堪能できるということでしょうか。
1回目の感想はこちら。
福嶋亮大さんの評論を読んで触発されて書いた感想がこちら。
二回目を見て一番驚いたのは、肝心な言葉を私が勘違いしていたことでした。
岡田将生が演じる高槻が車の中で音の物語の続きを語るところです。
一番最後のところを「死にたい 死にたい 死にたい」と記憶していましたが、勘違いでした。
実際には
「私が殺した 私が殺した 私が殺した」
殺したのは物語の文脈上、もう一人の空き巣です。
でも、これは比喩でしょう。
では音が殺したのは誰だったのか。
一つ考えられるのは、円満な夫婦関係を「殺した」ことでしょう。
誰にもばれたくない秘密を夫に見られていた。
でもそれを無かったことにされた。
何もないことにして監視カメラがつけられた。
世界が変わるくらいのことが起きたのに、何も起きていないかのように振る舞う。
まるで家福夫婦の姿ですよね。
そしてもう一つは、子供ではないでしょうか。
これは穿った見方かもしれませんが、子供を肺炎で亡くしたことを「私が殺した」と思うのは母親にはありうるでしょう。
一般論でも、子供を亡くした母親は自分のせいだと思うわけですし。
つまり、音は二重の自責の念にかられている。
子供を亡くしたこと、これまでの夫婦関係を壊したこと。
自分をコントロールできなくなった女が音です。
音は夫に手を振り離されて死にます。
家福は、音や高槻とは異なり、コントロールできる男です。
自己コントロール能力があり、理性的な近代的な男性です。
しかし、その家福こそ自己コントロール力があるからこそ罪を背負わなければいけなくなる男です。
家福は妻の二面性の謎と妻子を失い、すべての努力が水の泡だったのではないかと感じている男です。
アーニャ伯父さんの劇中の言葉が響く。
もう取り戻せないという絶望。
一番妻の側にいて一番妻を愛し、妻からも愛されていたはずだ。
それは嘘じゃない。でもだったらなぜ?
夫婦だからこそわかりあえるはずだ
愛し合っているからこそわかりあえるはずだ
それが対幻想でしょう。
音も夫は愛していたのだから「対」幻想としては成立します。
でも、その対幻想からはみ出してしまう「私」がいた。
音ははみだして浮気を繰り返してしまう。
家福はそんな音を見逃し知らないふりをして必死に対幻想を守ろうとする。
でも、それはありのままの音を見ていないことになる。
みさきは、夫婦関係よりもっと強固な「対幻想」のある「親子関係」を捨てた女だ。
みさきに言われてようやく気づくのだ。
対幻想を通した音ではなく、ありのままの音を受け入れることができた。
対幻想から出てきたのは他者としての音だ。
ありのままの音を受け入れるということはそのくらい難しいことだった。
対幻想はそのくらい男性にとって強固なものなのだろう。
ドライブ・マイ・カーは、近代的自我をもち自己コントロール能力の高い男が、
ありのままの他者としての妻を受容できなかったことで妻を失う物語だっだ。
思いのたけを音にそのままぶつけていたら。
関係は変わったとしても、死ぬことはなかったかもしれない。
妻を殺してしまうほど変化を求めない男の末路だ。
自己コントロール能力が高い、一貫性のある男の破綻の末路*2。
死んではじめて受容した。憐れな男。そして、憐れな妻だった。
家福はすべてを受け入れる。
高槻が逮捕されて空白になったアーニャ伯父さんの役を演じることを決める。
それは妻の死語、演じられなくなったアーニャ伯父さん役を再び演じることでもあった。
働かなければいけない。
どんなに苦しくても。
家福とみさきは働きつづける。それが生きるということだから。
で、ここから美しくない個人的な感想になります。
この映画そのものは、本当に素晴らしい映画だと思います。
2回見ても飽きるどころか、深く染みてきます。
が、やはり村上春樹の設定が古くないか?っていう思いは募ります。
自分がそうではないからなのかもしれないが、ここまでパートナーと「わかりあえるはずだ」という思い込みをもっているのがキツいというか。。。
私の場合、「親子とはわかりあえるはずだ」という対幻想をもっていました。
ここでの親とは父親です。
父親は父親で私のことはわかっているというんですが、全然わかっていません。
何度絶望しても親子という対幻想に私は囚われていました。
そこから解放されたのはつい最近です。
そんな履歴のある私ですので、夫婦における対幻想を強くもっていません。
でも、親子関係になぞらえて、共同幻想に囚われる辛さ、他者として受容することの難しさは想像することができます。
血縁関係の親子関係と比べたら、赤の他人の夫への対幻想度は低いんですよね。
そもそも家庭へのイメージが悪く、結婚する気もなかった私が
夫と結婚したのは自分とは全然違うタイプの人間だからです。
他者なので考え方なので違うことが多く、驚くこともありますが、
それでも言葉を尽くし、時間を共有することで「対幻想」という思い込みではない関係が築けていると思います。
で、村上春樹的なカップルの共同幻想、対幻想は今の日本のトレンドではないと思うんですよね。
男性はどうかわかりませんが、少なくとも女性にとってその対幻想は解体されている。
解体されている上で《他者》としての夫とどのように共同性を築くかってことが今のトレンドだと思うんですよね。
また、もう一つの最近のトレンドは毒親、親ガチャという言葉があるように親子関係という「共同幻想」「対幻想」の解体だと思うんですよね。
私が村上春樹を最後まで読みきれないのは、もうすでに自分には必要のないものだからなのだ、ということがblogを3回書いてわかったことでした。
【訂正】福嶋亮大の『ドライブ・マイ・カー』評論ーーー対幻想、孵らない卵、受容と他者
sumita-mさんからのご指摘があり、「共同幻想」を「対幻想」に訂正します。ご指摘ありがとうございました*1。概念は原著確認して丁寧に使いたいと反省しました。
ドライブ・マイ・カーについて感想を書きましたが、
気になった評論記事をちらほら読んでいましたが、
福嶋亮大さんのこちらの書評にグッときました。
この映画って語り方が難しい映画だと思うんですが、見事に説明しているなと思いました。
村上の文学にはもともと「身代わり」へのオブセッションがある。彼の主人公はたいてい、空っぽになってしまった人生を、別の物語的存在の「代理」によって埋めあわせる。つまり、運命をいったん物語に譲渡し、アバターとしての人格を生き直した後に、もとの人生に回帰する。「でも、戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている」(「ドライブ・マイ・カー」)。現実的というよりも象徴的・物語的な次元で起こる交換が、人間の「立ち位置」に変化をもたらす――それが村上の文学の「ルール」なのだ。
空っぽさ、空虚さへのオブセッション、執着
私は小説を読んでいないし、書評を読むとますます読まないまま終わりそうなんですが、それはさておき、
小説版の木野=家福と映画版ではキャラが違うらしい。
小説版では積極的に高槻に話しかけるが、映画版では受け身である。
接触をもちたがるのは高槻であって家福ではない。家福はむしろ関わりを持たないように気をつけているようだ。
小説版では高槻が家福の空っぽさを埋め合わせる存在らしい。
映画版では違いますよね。もちろん妻・音の物語の続き(欠けていたピース)を伝えるメッセンジャーとしての役割を果たしていますが。
映画版では高槻も空白な男でした。
空白な人間は他人と交換できる。
妻・音も高槻も他人に身体を解放し、誰とでもSexできる人たちでした。
あっさり自分を明け渡すことができるからこそ、あっさり浮気し、あっさり殺人も行う。
でも、その空白さは本当は何にも置き換えられない。自分でもどうしてよいかわからないものです。身に余した空白さ。高槻は身に余しているからコントロールできずあっさり殴って殺してしまう。
福嶋の言葉で言い直すと「空っぽになってしまった人生を、別の物語的存在の「代理」によって埋めあわせる。つまり、運命をいったん物語に譲渡し、アバターとしての人格を生き直した後に、もとの人生に回帰する」(上記記事引用)ことに失敗したのが音と高槻に見えます。
村上春樹にとって《妻》という存在は女一般とは異なる存在だそうです。
福嶋亮大が吉本隆明の言葉を使って説明していますが、《妻》とは「共同幻想」を修復しようとして「対幻想の故障」で終わる存在です。
【訂正】20220418ーーーーー
福嶋さんの解釈を誤読していました。
「共同幻想」はムラやクニの単位で使用される概念です。
社会通念上、「夫婦とはこうあるべきだ」という常識が夫婦にあり、その「共同幻想」を修正しようとして、個別の二人関係の「対幻想」が故障するという意味合いです。
社会一般の夫婦という思い込みの修正を試みるが、結局個別の二人の中にある共同幻想=対幻想は修正仕切れず、故障してしまうという意味だと思います。
つまり、社会通念上の《妻(とはこういうもんだ)》というものから、二人だけの関係の「対幻想」としての《妻》を受容しようとして失敗(故障)するという話なのだと思います。
男は《妻》を社会通念上の<妻>から、二人が時間を共有して積み上げた<妻>と向かい合うが、妻のほうはその<妻>からはみでるありのままの私=他者を見てほしいわけで、夫はそれがわからず対幻想が故障するわけですね*2。
ーーーーーーーーーーーーーー
でもそれって、最初っから「共同」幻想なんて抱いてないんじゃない?って思うんだけどどうなんでしょうかw*3。「共同」幻想を抱いていると勝手に男=夫が思っているだけじゃね?という下品なつっこみはここではやめておきます。
ドアを叩いているのが誰なのか、木野にはわかる。彼がベッドを出てドアを内側から開けることを、そのノックは求めている。強く、執拗に。その誰かには外からドアを開けるだけの力はない。ドアは内側から木野自身の手によって開けられなくてはならない。/木野はその訪問が、自分が何より求めてきたことであり、同時に何より恐れてきたものであることをあらためて悟った。(「ドライブ・マイ・カー」より)
要するに、《妻》を別の何かに置き換えることはできず、その喪失を素通りすることもできない。村上春樹はそのことを分かっていたから「木野」を書いた。逆に、聡明な濱口竜介は恐らくそのことを知りつつ、最終的に《妻》を封印し、韓国に渡ったみさきによって物語を完結させたのである。
と、まとめます。
小説は読んでないのでコメントできませんが、映画のこの評価はどうでしょうか。
私は「《妻》を封印」したというふうには解釈できません。
【訂正】20220418ーーーーー
この《妻》が社会通念上の共同幻想としての《妻》ならば封印という解釈もありうると思います。
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小説に出てくるノックは、映画では妻・音の不倫行為を意味するでしょう。
夫を愛しながら、男を連れ込み不倫する。
家福にとってそれは不気味なノック音だ。
だからこそ「話があるの」と音に言われて妻から逃げる。
家福にとって謎となった妻。
しかし、立場を反転したらどうでしょうか。
実は、音にとっても家福は不気味なノックを叩く存在です。
家福は見逃しているけれど、音がしていることはばれている。
これ以上、自分(=妻)を試す行為はないでしょう。
この夫婦はお互いに愛しながら、互いに不気味なノックを叩きつづけているのです。
お互いにドアを開けて欲しがっている。でもお互いにドアノブに手をかけられない。
但し、語り部が家福のため男目線でしか語らないから、このノックが女の謎として立ち現れているだけなのです。
ではなぜ互いにノックをしつづけるのでしょうか。
二人は子どもを病気で亡くします。
子供を亡くすという喪失体験を二人は共有していたはずでした。だから別れられなかった。
が、実際はその喪失、悲しみは個別のものです。
子を失っても夫婦は依存しあうように二人でいますが、子の喪失は明らかに二人の関係を変えたのです。
子を失って虚脱状態に陥った音は、1年くらい経ったあと家福と寝てエクスタシーを感じると物語を半ば無意識で語るようになります。
それを書き留めたものを脚本にして賞を受賞したことで、音は第二の人生を歩みはじめます。脚本家としてキャリアを積んでいきます。
また、音の語る物語を書き留める作業は、二人の共同作業です。
これは「対幻想」の修復と捉えてもよい作業かもしれません。
でも、実際は違いました。
高槻が家福に物語の続きを語ったことでわかるのです。
音は子の喪失を何かの代償なんかにできていなかった。
空白を埋めるように夫を愛し、他の男とも寝る。
でも子供は帰ってこない。
埋まらないのです。埋められるわけがない。
死にたいという気持ちが止まらない。だから他の男と寝るのです。
音にとって夫は辛うじて此の世にとどまらそる重石であり、取っ替え引っ替えの浮気は彼の世への欲求でしょう。
生と死の分裂、乖離。
子を亡くした喪失を実は二人は共有していませんでした。
究極の共同性とは「こども」でしょう*4。
それを失ったのだから「共同性」を修復できるわけがなかった。
二人はそれぞれに空白を抱えていただけだった。
二人とも別々にばらばらに。空白を抱えて温めあっていただけ。
お互いに叩き続けるノックとは、終わっていないかのように振る舞う日常の軋みの音だった。
壊れていないかのように振る舞っているのにそれでも忍び寄る音だった。
終わらせたくない、終わらせたい。
既に割れてしまった卵を必死に割れていないかのように温めていた。孵ることのない卵の内側からトントンとノックが聞こえてくる。それが二人の叩き続けたノック音、終わりの音だ。
《妻》音はついに思いきってドアを開けようとした。
「話があるの」と音に言われて逃げたのは家福だった。
ついに自らドアを開けようとした音の手を振り払った。
それが家福なのです。
みさきの物語は、助けられたのにも関わらず母親と第二人格の友達を見殺しにした物語です。
家福も同じです。
自分の都合で音を見殺しにしたのです。
音を愛していたのに、音の手を離して見殺しにした。
音の最後の言葉を聞けなくて、勝手に混乱している自己中な男が家福なのです。
小説の木野とは異なり、映画の家福はドアを手離した男の悔恨の物語なのです。
ドアすら触ることができない不安げな木野とはまったく違うのではないでしょうか。
映画では自分の残酷な罪と、矛盾した妻をありのまま受け入れたのが家福なのではないでしょうか。
それは妻の封印とはよべないと私は思います。
妻を封印したというよりも妻への執着を解放したと言ってよいかもしれません。
受容とは執着の解放だった。
飲み込めなかったものを飲み込んだ。
映画版ドライブ・マイ・カーは、空白への執着を解放した物語と言えるかもしれません。
ここからは余談です。
あれだけ愛していたはずの妻なのに、肝心なところで手放して妻の苦しみを共有しなかった。
勝手に共同幻想を懐き、不安に襲われて勝手に突き放す。
突き放しておきながら、突き放したことを後悔し、自分の人生はいったい何だったのだろうと嘆く。
それが家福という男です。
夫は沈黙し妻は乖離する。
性別を逆転してみましょう。
妻は沈黙し、夫は家族を愛しながら浮気する物語は腐るほどあふれています。
一般的には、男が乖離して、女がそれに堪える(沈黙)物語が多いわけです。
実は、ドライブ・マイ・カー的な話は、よくある話の男女逆転バージョンであり、
それが村上春樹の個性なのではないでしょうか。
家福が映画で憐れに見えるのは、寝取られた男だからでしょう。
空白な者同士の自己中な家福と音はコミュニケーションで関係を改善できません。
夫婦関係(=共同幻想、対幻想)でありながら、不穏な何かを抱えていて、それを言葉では解消できない関係に陥っている。
でも、よく考えて見るならば、夫婦関係を前提にして考えるから、おかしな話になるのではないでしょうか。
夫婦関係、ニコイチであるかのような関係に村上春樹はドリームを感じているように見えます。
そのドリームを共有していない私からすると、一人で生きていけばよくないか?という話しに過ぎないわけです。
なんでそこまでして音と婚姻関係を継続させるのでしょうか(そのギミックとしての子の死別)。
覆水盆に返らず。
子だけでなく妻とも死別した男・家福。
ストレス(謎)を抱えて一緒に暮らすくらいなら一人になればいいじゃん。
さっさとその扉を開けてしまえばいいのに。
まぁ、それを言っちゃあ、おしまいよって話なんですけどね。
簡単に言っちゃえば、
《妻》や《夫婦関係》に共同幻想、対幻想を抱いている古い男の話なんじゃないですかね?
愛し合っているニコイチな夫婦関係という設定だからドリームしちゃうわけで。
カップル幻想が強いわけです。
社会の単位が二人関係、夫婦関係を前提とする物語の切なさを村上春樹は描いているのかもしれません。
夫と妻の自我を融合した何かがある、それが共同幻想です。
融合の象徴としてのセックス。村上春樹の小説によく出てきますね。
でも、夫も妻も他者同士であり、他者同士であっても共に暮らす夫婦関係もあるわけです。そこには夫と妻の自我の融合はありません。
自我が溶解せずとも成立する関係です。
でも、レディコミや大人向け少女マンガにありふれているのは、このドリームとの決別です。夫に「わかってもらえない」「わかりあえない」ことから様々な形で卒業していきます。
男が共同幻想を未だに夢見ようとして、でも対幻想に失敗するとき、女性達はもっと先を歩いている。あっさり共同幻想と対幻想にさよならをしているのです。
対幻想が故障するのは当然なのです。
共同幻想を夢見ているのは男なのだから。
みさきは親子関係という共同幻想を捨てた女です。
そう「女性」なのです。
家福は《妻》という共同幻想、対幻想から卒業できたのは、
自分の亡くした子と同じ年齢の女性からでした。
共同幻想ではない《妻》、《妻》からはみ出したありのままの妻をようやく受け入れることができた。
他者との向き合い方を学んだのです。
『おとめ六法』はおとめだけにあらず。性別に関わらずイジメの被害者は目を通しておくべき本。
『こども六法』が流行ってから○○六法シリーズが増えていますよね。
この『おとめ六法』は女性たちが困難に陥ったときに関わる法律をまとめています。
イラストがかわいいですよね。手に取りたくなるかわいらしさです。
ちなみに、『おっさんず六法』*1というのもあります。
それぞれの立場に沿った法律本というのは一冊もっているとよいかもしれませんね。
困ったときにはこれら本をみて、弁護士に相談してみるというのはアリよりのアリでしょう。
この「おとめ」六法は女性のためにまとめたものだし、
妊娠、出産などは確かに女性ならではの問題で役立つのはもちろんなのですが、
もう一つの視点は「困ったこと」が起きたときの対処法がまとめられているので大変便利な本です。
「困り事」は男女共通でしょう。
男性でも困ったことが起きたら、この本は大変約に立つと思います。
例えばこんな事例があります。
学校の教室で数名に囲まれて脅され、服を脱ぐように強要された。
何人かがその様子を携帯で動画撮影していた。
87ページ
これは女子学生だけではなく男子学生にもよくあるイジメではないでしょうか。
性別に関係なくイジメの状況として成立します。
この質問に対する答えはこうです。
18歳未満の者の性器やおしり、胸などが写っている画像や動画は「児童ポルノ」に該当します。児童ポルノを所持したり提供したりすると「児童ポルノ禁止法違反」という犯罪に問われる場合があります。所持や提供をするのが18歳未満の者であっても同じです。
このケースでは、動画撮影という行為が、児童ポルノ禁止法違反に該当する可能性があります。また、刑法の強制わいせつ罪、強要罪にあたる可能性があります。
87ページ
1 自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者は、1年以下の懲役、または100年以下の罰金に処す*2
学校の深刻なイジメの事例として、児童の性器などの写真、動画の撮影があります。
この被害者は女子に限りません。男子の深刻なイジメではマスターベーション動画の撮影があり、過去にそれを苦に自殺した男子学生がいました。
性器などの撮影は、「いたずら」「遊び」ではすまされない犯罪行為です。
加害者は未成年であっても児ポ法の処罰の対象になる。
これは盲点でした。
児ポ法は大人を処罰する法律だと思い込んでいました。
しかし、イジメで性的動画を撮影されたら適用される可能性があることがわかります。
また、女性だけが対象だった強姦罪は2017年に刑法が改正され、性別を問わず強制性交罪として処罰されるようになりました。
男女関わらず、性的被害を受けてからの身の守り方がよくわかります。
おとめ六法では、これに限らず学校でのトラブルの法律も記載されています。
最後に、女性ならではの法律で知らなかったのは「強制認知」です。
男女のトラブルでよくあるのは妊娠が発覚したあと、男性が失踪することでしょう。
「認知してもらえない」問題です。
つきあっていた若い男女が、男性が消えて、堕胎するタイミングも逃し、出産して赤子に手をかけてしまう事件がありますよね。。。
認知は未婚の関係が前提のシステムです。
男性が「認知」すると、法律上、父親としての責任が出てきます。扶養義務です。
「認知」とは任意でするものだと思い込んでいましたが、
なんと、父親が自ら認知することを「任意認知」といい、裁判所へ認知を訴え(民法第787条)て、認知を求めることは「強制認知」というそうです*3。
強制認知は家裁で調停の申立てからはじまるそうです。
強制認知されると法律上、父親として認められるので養育費を請求できるようになるそうです。
全然知りませんでした。
認知って任意と強制があったんですね。
赤ちゃんは一人では作れません。
二人の責任があって成り立ちます。
(レイプでない限り)
役立つ情報が盛り沢山でした。
過去の記事と紐づけると
こちらは、「出会い系サイト規制法」((64ページ。第1条。18歳)未満の児童が性被害から防ぐ目的のもの。18歳以上を保護する法律は現在のところない、とのこと)に抵触すると思います。
こちらはまさに児ポ法違反。いじめ防止対策推進法で守られなければいけない児童でしょう。
ヤジは排除されて当然なのかーーー市民の自由の守り方
世界が混沌として不透明な時代になってきた。
民主主義より権威主義がはびこる時代になってきた。
強いものこそ正義なのか。
弱者は黙って従い耐えるしかないのだろうか。
自分たちの自由と平等を守るにはどうしたらよいのだろうか。
自分たちの自由を守るのは自分たちなのだ。
興味深い事例を収集して戦い方をまとめていきたい。
反戦デモはグレーゾーン?
最近話題になった「防衛省幕僚の勉強会で反戦デモはグレーゾーンと表記」事案。
ネット記事は消えてしまうことが多いので一部抜粋しておこう。
陸上幕僚監部がおととし2月、記者向けに陸上自衛隊の活動を紹介するために作成した資料で、「予想される新たな戦いの様相」として、テロやサイバー攻撃とともに反戦デモを例に挙げ、武力攻撃に至らない手段で自らの主張を相手に強要する「グレーゾーン事態」にあたると表記していました。 松野官房長官は合法的に行われている場合も含まれてしまっており、「不適切」としています。 (06日22:13)
20220406 23:34 TBS NEWS をYahoo!ニュースが配信
確かに反戦デモは、デモを利用した活動もあるのかもしれない。
が、そう決めつけて取り締まることは危険ではないだろうか。
ロシアの軍事進攻以降、ロシア国内では反戦デモが多発しているが、まさに治安を不安定させるもの、ウクライナについてフェイクニュースを流して扇動するものとして逮捕されている。
これは正しい行為なのだろうか。
反戦デモの中には欧米から支援を得て活動している者がいるかもしれないが、だからといってすべての人がそうではないだろう。
反戦デモの取締りは、ロシア政府、プーチン大統領の利権を守る行為だ。
日本でも反戦デモを取り締まるようなことが起きたら、それは政府にとって都合が悪いことがあるからだと思った方がよいだろう。
道警ヤジ排除事件
でも、日本でそんなこと起こらないよ?
日本は平和だし、反戦デモで捕まることはないでしょ?
それがあったんです!
反戦デモではないけれど。
しかもつい最近ですよ?
2019年の話です。
それが道警ヤジ排除事件です。
あらましはこちらになります。
2019年7月15日に札幌駅前などの路上で起きた事件です。当時は参議院選挙の真っ只中で、自民党の公認候補を応援するため、この日は安倍晋三内閣総理大臣(当時)による街頭演説が行われていました。そのとき、群衆の中から「安倍やめろ」「増税反対」などとヤジを飛ばす人や、政策に批判的なプラカードを掲げる人が現れました。
しかしその人たちが自分の意見を主張できたのは一瞬でした。あっという間に大勢の警察官が集まってきて、彼らを囲み、押したり引きずったりして、強制的に排除したからです。
デモなんかしたこともないチキンの私からすると、
演説中の政治家に野次なんかしたら排除されるもんなんじゃないの?って思います。
でも、そうじゃないらしい。
警察は自民党の警備員ではありません。民主主義国家の警察は、特定の政党の利益のために、人々の政治的な言動を制限してはいけないことになっています。しかしこの日、警察官たちは法的根拠も明らかではないままに、自民党とは異なる意見を持つ人々の口を封じてしまったのです。
へ~~、そうなのか。
そんなことすら知らなかった。
要人は守られて当然で、ヤジったら取り締まられるもんなのかと思ってました。
でも、確かに安倍晋三やめろ、とか、増税反対くらい自由に言いたいですよね。
ヤジで排除された二人は、警備をしていた道警に対して訴訟を起こしました。
そして3年たち判決がでました。
なんと勝訴です。
判決内容はこちらになります。
札幌地裁で勝訴しました(要旨・判決文あり)yajipoi.wordpress.com
訴訟の焦点は「表現の自由」の侵害と「警察官職務執行法(警職法)」による排除の行使は適法なのか、です。ヤジは表現の自由なのではないか。それを警職法で取り締まるのは行き過ぎではないのか、という問題でした。
◯ 撮影されていた動画などの関係各証拠によれば、当時、「生命若しくは身体」に危険を及ぼすおそれのある「危険な事態」にあったとか(警職法4条1項)、「犯罪がまさに行われようと」していた(同法5条)などとは認められず、警察官らの上記行為は適法な職務執行とはいえないのであって、これらの行為は違法である。
警職法の「危険な事態」にはあたらないため、排除行為は違法だと判定されました。
また、表現の自由については、
◯ 原告らの発言は、いささか上品さを欠くきらいはあるものの、いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為であるところ、警察官らの上記行為は、このような原告らの表現行為の内容ないし態様が街頭演説の場にそぐわないものと判断して、当該表現行為そのものを制限し、また制限しようとしたものと推認される。
◯ 表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制限を受けるものであるが、被告からは、原告らの表現行為自体が「関係者らにおいて選挙活動をする自由」を侵害しているとか、「聴衆において街頭演説を聞く自由」を侵害しているなどの主張も出ていない。
◯ 原告らの表現の自由は、警察官らによって侵害されたものというべきである。
裁判所は「表現の自由の侵害」を認めました。
こうやって普通の人々が訴訟を起こし、戦うことで自由を「維持」することができるんですね。
侮辱罪にあたるのではないか?
いやいやいや、でも安倍晋三やめろは失礼だろ!
侮辱罪にあたるんじゃないの?
そういう質問もでてくるだろう。
それに対してヤジポイの会(@yajipoi0810)のTwitterアカウントでは以下のようなやりとりがありました。
「真面目に質問」されているそうなので、一応、最低限の回答をしようと思いますが、「侮辱的なヤジであれば侮辱罪に該当することはありうる」というのが一般論です。
— ヤジポイの会【勝訴】 (@yajipoi0810) 2022年4月3日
その上で、ヤジ排除におけるヤジについて(もしも万が一)侮辱罪に該当するとしても、警察による排除は違法であることを説明します。 https://t.co/XH0w3J3del
というのも、道警が排除の根拠として持ち出している警察官職務執行法第四条、第五条は、その有形力行使の要件として「差し迫った危険な事態」や「人の生命もしくは身体に危険が及ぶ状況」などを設けており、侮辱行為だけでは、これを満たさないからです。https://t.co/WxssGTDCVG
— ヤジポイの会【勝訴】 (@yajipoi0810) 2022年4月3日
もしも道警がそのような主張(「侮辱だから排除した」)を採用していたら、裁判もここまで長引かずにこちらが圧勝していたと思います。
— ヤジポイの会【勝訴】 (@yajipoi0810) 2022年4月3日
なお、付け加えると侮辱罪は親告罪なので、被害者本人が申し出る前から警察官が先んじて逮捕するということもありえません。
最初の引用ツイートは鍵をかけてしまったので見ることができなくなっていますが、侮辱罪じゃないの?という質問に対してヤジポイの会の方が丁寧に回答しています。
ヤジの排除として道警が公職選挙法、侮辱罪、名誉毀損罪を根拠には取り締まっていないかった。もしくは、これを根拠に取り締まったことにすると違法であることが最初から予測できているので、これらの法律を根拠にせず警職法で対処したものを見られます。
が、それで道警は法的根拠無し、表現の自由を侵害したとして裁判に負けちゃいます。
ヤジ排除問題が起きた当時、ネットでは侮辱罪だと騒いでいました。
しかし、侮辱罪による排除ならば、侮辱された人が警察にいき手続きをしなければいけません。その場で排除はできないということになります。
表現の自由は守られた。それは右派左派を超えて守られるもの。
ここまでの流れを見るとリベラル、サヨクの勝ちって感じで読んでいる人がいるかもしれない。
しかし、表現の自由はポジション問題ではない。
ヤジポイの会のツイートにありますが、チャンネル桜でヤジ排除判決について触れていたそうだ。
「チャンネル桜」でもヤジ排除訴訟のことを取り上げてくれるんですね〜。注目されてるようでなんだか嬉しいです。笑 https://t.co/kcIWCRjTXN
— ヤジポイの会【勝訴】 (@yajipoi0810) 2022年4月7日
実は民主党時代にも与党の演説中に民主党批判(罵倒?)や「原発反対」などのプラカードを出した人が警備の警察によって端に追いやられる(排除される)事案がありました。これについてはチャンネル桜でも取り上げられ、「異なる意見を排除するのはいけない」と至極真っ当な言論擁護をしていました。
— ヤジポイの会【勝訴】 (@yajipoi0810) 2022年4月7日
当然でしょう。
でも、ヘイトスピーチはヘイトスピーチ解消法で「表現の自由」*1が規制されているので注意しましょう。
民主主義社会って表現の自由があって大変ですよね。
いろんな意見があり、自分とは相容れない意見だってある。
そんなんだったら「一つの声」の方がラクかもしれない・・・そんなときはロシアを思い出しましょう。
「一つの声=プーチンの声」しかない社会は、それはそれで窮屈ではありませんか?
今ある自由を死守したい。
ヤジポイの会の道警ヤジ排除訴訟には最大の拍手を送りたい。