ベニスで死すで有名なあの少年のドキュメンタリー「世界で一番美しい少年」を見ました。伝説的な映画だし、あの少年の姿は誰もが一度は見たことがあるだろう。
私にとって「タジオ」ことビョルンの知識は竹宮惠子『風と木の歌』のイメージくらいしかなく、少女マンガ家に影響を与えた程度の知識しかありませんでした。
このドキュメンタリーに興味を持ったのは、少女マンガ家達が魅了された少年のその後が知りたかったこと、ネットの記事で少年が性的虐待を受けていたという記事をよみ、そこで興味をもったのです。
例えばこちらの記事も「少年が性的搾取されてかわいそう」という内容です。
でも、見終わったときの印象は違いました。前評判とまったく違う感想をもちましたね。被虐待児の再生物語として見るとミスリーディングなのではないでしょうか。
なぜなら、ビョルン自体があの時代についてはおおっぴらに人に話しているからです。彼にはもっと口には出せない、奥深く閉じ込めているものがあるからこそ、アルコールに溺れ、うつ病にとなり福祉に依存して生きているわけです。その理由はあの映画だけのせいではないでしょう。理由の一つになるかもしれませんが、人に語ることができる出来事です。
あの少年の美貌だけをみて中身(彼の気持ちや悩み)をみてくれない辛さは、アイドルの世界ではよくある話かもしれません。映画のおかげで/せいで一躍有名になり、自分の気持ちと掛け離れてみなが自分を追い求める。それを誰も守ってくれない。
彼が憂いのある少年だった理由も説き明かされます。母親が10才でいなくなるからです。大人たちはいなくなった理由を子供達には話しませんでした(ビョルンには11ヶ月年才の妹がいる)。話せなかったのでしょう。大人も辛かったのだろうと思います。周りの大人も受け止めきれなかった。。。彼の育ちが、他の少年にはない憂いを醸し出す。監督は見た目の美だけでなくそこを含めて読み取ったのかもしれませんね。
このアイドル化したことによるトラウマとは別に、彼が深く絶望し、鬱の底に沈んだのはもう一つの理由があります。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、彼は大切な者を失います。自分が大切な者、母親もその人も。。。。すべて失う。。。
この映画の前評判は美しい少年が性的搾取された、というものでしたが、見終わったあとにはそういう感想にはなりませんでした。ビョルンが語れなかったものはそれではなかった。彼を闇に沈めたものはそれではなかった。映画の最後で語られます。
しかし、生まれる前の話しなのでまったく知らなかったんだけどビョルンは日本で歌まで出していたとは!自分が想定していたより日本が熱狂していました(笑)。ベルばらのモデルもビョルンとはね!。ビョルンにとっては不本意な映画だったのかもしれないけれど、「ベニスに死す」が無ければ少女マンガがここまで展開したかどうか。ビョルンが日本に与えた影響は並々ならぬものがありますね。
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Simple Joysさんのブログに、この映画について複数の記事があり、大変参考になりました。こちらの記事はこの映画監督のインタビューを翻訳したものです。
ヨーロッパでは、この映画を見ると、両親のいない子供が、ヴィスコティらの映画関係者の大人から子供が守られなかった=虐待というように受け取っていますね。
両親がいないから子供を守る人がいないというスタンスです。しかし、祖母は現場までついて行っています。だからビョルンの側に保護者がいないわけではないでしょう。むしろ、日本の芸能界でもそうですが、保護者も「ステージママ」化して映画関係者と一体化していくわけですよね。ビョルンの祖母のように。孫を大人たちから守るよりも映画関係者やスポンサーのいうことを聞いて差し出してしまうわけです。
下記の記事では、日本についても触れています。ビョルンは祖母に言われて、行きたくないのにイヤイヤ日本に行きます。このときは祖母はついて行かず一人でした。。。ビョルンは日本には悪いイメージしかありませんでした。が、この映画でまた日本に訪れます。熱狂の渦に投げ込まれ、立て続けの仕事で何が起きているのかも把握できない。赤い錠剤を飲まされ、疲労を回復させる。。。。嫌な思い出しかなかった日本だったが。。。。映画とこの記事を読んでから、ビョルンの歌を聞いてみてほしいと思いました。