kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

なぜ日本は「侵略」という認識をもたなかったのか

 ようやくこの問いにたどり着きました。

 私は「正しい」歴史認識の闘士ではないし、正直に言うとグロテクスな好奇心から中帰連の証言を趣味で読んでいました*1。グロテクスな好奇心とは人間の残虐な行為への関心のことです。最低ですね。

 しかし、読めば読むほど、なんでこの事実を日本人が知らないのかよくわかりません。歴史マニアや戦争好きは知っているかもしれないけれど、大半の日本人は知らないわけです。断片的に情報があり、残虐な行為への興味から、つまりサブカル的な関心から読まれているくらいで。。。

 読めば読むほど謎が深まります。証言者が嘘をついているわけではない。日本政府が隠しているわけでもない。中国政府も隠してはいない。ではなぜ? これがわかるためには中国の歴史を知らないといけないのです。

日本敗戦後、中国は内戦突入で戦争犯罪を裁けなかった

 わかると理由は単純なのですが、これに尽きるわけです。

『決定版日中戦争』を参照して終戦直後の中国大陸の状況をまとめておこう。

決定版 日中戦争 (新潮新書)

終戦時、三つの軍隊が互いに勢力を争っていた。

①南京を拠点に、華北全体と長江中下流の主要都市とそれらを結ぶ鉄道沿線を支配して 

 いた日本軍(支那派遣軍南京) 105万人

重慶を拠点に、四川省雲南省など南西部の奥地を支配する国民政府軍(国民軍)

  400万人

華北の日本軍占領地を取り囲むように「辺区」(のちに解放区)を押さえている共産  

 党軍(八路軍、新四軍主体) 300万人  [256]

ここに「満州国」は含まれない。満州国以南の中国大陸の状況だ。

 旺盛な指揮を保っていた日本軍は突然の降伏に納得しなかったが、武装解除を進めた。国民党と共産党は争って日本軍の降伏を受け入れ、武器・装備を接収した[258]。日本軍はいいものをもっていたんですね。共産党軍との接収競争を制するために蒋介石は「以徳報怨」演説し、戦犯問題や賠償問題について強硬な姿勢をとらなかった[273-274]。

 連合国の中で最も被害を受けたのにも関わらず、共産党との内戦に打ち勝つために、日本軍を許し、協力を仰いだのだ。1949年1月に岡村寧司総司令官の無罪判決を最後に国民党政府の軍事法廷を終了し、日本人戦犯251名が帰国、巣鴨プリズンに移管され内地服役となった[274]。その9ヶ月後、1949年10月に中華人民共和国が成立。国民党政府は崩壊直前に日中戦争の戦犯を解放したのだった。

 つまり、内戦を制するために日本軍を味方にするしかなかった。そのため、日本軍の戦争犯罪を不問としたわけです。総司令官が無罪判決ですからね。国民党政府のこの対応が日中間の歴史認識に大きな影を落としました。

                ◆

 国民党政府は共産党に負け、中華人民共和国が成立しました。内戦当時から中国共産党は、国民党政府の戦犯裁判が不徹底と批判し、アメリカに対しても戦犯の処罰が不徹底であると批判を加え、釈放したA級戦犯岸信介ら)容疑者に対する裁判の権利を主張していた*2。岡村総司令官と既決戦犯(260名)が日本へ返されると、再審の権利と戦犯の引き渡しを何度も要求している*3。しかし、日本は応じませんでした。

 そのため、中国共産党中華人民共和国成立後に、ソ連に抑留されていた満州国華北地域の日本人の引き渡しを要求。中国へ引き渡しされ、「日本人戦犯」は「認罪」プログラムを経て、詳細に戦争犯罪が記録されたのです。詳しくはこちらの記事をどうぞ。

 

kyoyamayuko.hatenablog.com

 

 これにより、日本人が中国で行った具体的な犯罪行為が歴史的資料として残ったわけです。自白だけでなく、自白に基づいて検察が現場を確認して検証されています。

 文官は別にして、これらの戦争犯罪行為は、連合国の裁判ではB級犯罪にあたり、死刑もしくは重罪にあたる行為です。しかし、戦争法廷で裁かれたのはたったの45名であり、死刑はゼロです。中華人民共和国がこれだけ寛大な措置をとったのは、新しい国が再興するためには日本の協力が不可欠だったからです。中国で被害にあった人々からすると許せないかもしれませんが、国の都合で寛大な対応をしたわけです。

                ◆

 日本は、1951年にサンフランシスコ講和条約を署名し、1952年に台湾に逃げた国民党政府と日華平和条約を署名します。日華平和条約の交渉では、サンフランシスコ講話条例第11条と同じく「戦犯規定」が挿入されていたが、日本側が裁判管轄権は中国の手を離れており不要としたため、中国もあっさり削除に応じた経緯があります*4。また、賠償問題については戦中から詳細な被害調査を行い、平和条約交渉時には賠償を求めていた。しかし、サンフランシスコ講和条約では、米英が賠償放棄の立場を明らかにしたことから、国民党政府も賠償放棄を宣言するに至った。戦犯も裁けず賠償金も取れなかったのだ。

 中華人民共和国は国家設立後、戦犯返還を要求しても日本政府は応じなかった。そもそも国交が無かった。新しい中国は、ソ連に抑留されていた日本人戦犯を裁くことしかできなかった。

 世界の冷戦と二つの中国の複雑な歴史により、中国大陸での日本の戦争犯罪は実質的には満州国の文官とごく一部の日本兵憲兵しか裁かれなかった。これが日本が「侵略」を認識できなかった要因です。

 今や戦争経験者の大半は鬼籍に入り、76才以下は「戦争を知らない世代」だ。「侵略」なのかいなかの概念闘争よりも、リアルな加害行為の証言を読もう。こういうことはしてはいけないし、させてはいけない。中国の被害者はもちろんのこと、残虐な加害行為をした人々もある意味で犠牲者なのだ。戦争だからしょうがなかったと相殺することは、彼らの証言を無駄にすることになるだろう。

 

 一つ願うことがあるとするならば、この記事に書いたことは、個人が趣味的に調べて理解することではなく、共通認識で理解すべき内容のため教科書に記載してほしい。私はこの点を理解するために日中戦争の本まで読んでしまった。だってわからないんだもん。なんでこんなことすら知らないのか。自分が何を知らないかすらわかっていないので、相当の本を読みましたよ。でも、これは趣味で理解すべき事項ではなく、共通認識として知っておいた方がよい情報だと思いました。

 

 

書籍案内

●当事者の証言

私たちは中国で何をしたか―元日本人戦犯の記録

 

・軍医の生体解剖の日常。戦場という特殊な空間でたまたま行ったのではなく、医学スキルをつけるために日本の医学部が陸軍に振り分けられて、システマティックに生体解剖しています。

消せない記憶―日本軍の生体解剖の記録

●戦犯管理所長から見た日本人戦犯

撫順戦犯管理所長の回想 こうして報復の連鎖は断たれた

●全体像を把握する

決定版 日中戦争 (新潮新書)

 

中国侵略の証言者たち――「認罪」の記録を読む (岩波新書)

日本人の「罪」意識の分析

戦争と罪責

 

注記

*1:中帰連については90年代から知ってはいて、NHKの特集番組も見ていたように思います。でも、最近一連の本を読みはじめたのはたまたまでした。数年前にNHKの戦争中の精神疾患の特集を見て、そこでコメントしていた一人が野田正彰氏でした。名前を検索すると『戦争と罪責』という本があり、面白そうなので購入していたがそのまま忘れていたのです。コロナで暇になり本棚を整理していたらこの本が出てきてw、読んでみると興味深く、そこから軍医・湯浅の『消せない記憶』や図書館から借りて中帰連の証言を読みはじめました。湯浅軍医は残留組で戦後も山西軍に従軍したわけですが、全然意味が分からないわけです。山西軍ってなに!?て感じなわけです。それで『完全版日中戦争』など日中戦争の本を読んでようやく理解できました。日中戦争の本もこれだけではなく、いろいろ読んだのですが、この新書が一番わかりやすかったです。コンパクトなので全体像が把握できるわけです。グロテスクな好奇心と結び付けると、私の趣味で追いかけているテーマの一つにロボトミー手術(精神外科ともいう)がありまして(どんな趣味やねんw)、湯浅氏の本の前に『精神を切る手術』という本を読んでまして、日本人初の精神外科医の話なんですが、陸軍や海軍の軍医として従軍した精神科医たちが外科手術の訓練を軍で学んだことが書いてありまして。湯浅氏の本を読むとよくわかるんですが、1940年代に軍医で中国へいっている人は、まず生体解剖しています。手術の訓練しているんですよ。本物の人間で。その人間は中国人です。精神外科の本を、戦争と関連づけて読んでいたわけではないんです。たまたまグロテクスな関心から読んでいたら「つながった」わけです。戦後すぐ、日本で精神外科手術が行われるのは、おそらく手術に慣れていてためらいがないからなんですよ。戦地で精神的にやられた兵隊は、戦後、ロボトミーされているんですよね。。。。これは日本だけではなくアメリカもなんですが。。。。この話は語ると長くなるのでここでやめておきますが、いつかblogに書きたいです。

*2:21ページ

中国侵略の証言者たち――「認罪」の記録を読む (岩波新書)

*3:同上22ページ

*4:『決定版日中戦争』274ページ。