kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

「あの頃。」と「くれなずめ」

 朝ドラ「おちょやん」で若葉竜也くんのファンになり、「若葉くん」が出演しているからたまたまこの二つの映画を見たのだ。ほんとにたまたまだ。空き時間があるから映画を見よう、若葉くんが出ているからこの映画でも見るか。そんな軽いノリで見ただけなのだが、二つの映画は共通点が多く、もしかして今を象徴した映画なのかもしれないと思いました。

 

 「あの頃。」は、主人公が「あやや」と出会い、モ-娘。ファンとなり、オタ友と出会う青春?物語。

 

phantom-film.com

 

 「くれなずめ」は、友人の結婚式の余興のため久しぶりに会った友人達が青春?時代を思い出す物語です。 

 

kurenazume.com

 

 

【以下ネタバレです】

 この男たちの友情物語は学生時代の話ではなく、アラサー手前の男たちの友情物語だ。友達になったきっかけは学校や趣味。偶然にも二つの映画は同じ6人グループ。男は6人グループが安定するのだろうか。そして、その中の一人が死にます。「くれなずめ。」に至っては、最初から一人死んでいます。6人グループが5人になる話。それでも日常が続くというお話です。それだけ?と言われたらそれだけなのですが、ありそうでなかった、あまり描かれてこなかった物語です。

 男の友情というとバディものが多いのではないでしょうか。バディ関係を絡ませた組織もの、ヤクザやヤンキーの闘争ものが多いと思いますが、この映画では闘争は出てきません。半ぐれものでなくてもスポーツや会社のライバル同士の男の友情物語も多いですが、この映画には競争も出てきません。戦わない友情ものです。6人は競い合わず、対立せず、それぞれの個性が尊重されています(キャラとしていじられたりはするが)。

 また、一昔前ならば「モラトリアム」の若者の青春として描かれたかも知れません。でも、モラトリアム期間の青春は終わりを意識した物語で、終わりがやってきます。しかし、二つの映画には終わりはやって来ません。定職についても、下手したら家族ができても、友人の死すらモラトリアムの終わりを告げる現象ではない。そこが新しい気がします。一昔前のモラトリアム映画では定職につき、家族を持つと「お前も大人になれ」と友人が明に暗に示してきます。でもそういうことは一切ない。

 男の物語には競争や闘争がつきものであり、「大人になること」を求められるストーリーが多いのですが、それらが一切ない映画です。恋愛すら補足的なものになっています。恋愛史上主義でもない。社会や組織の闘争もなければ、恋愛でもない男たちの友情、男たちの人間関係を描く。男を描くときの二大要素である闘争も性愛も出てこない。珍しい映画です。

 では監督達は何を描こうとしているのか。闘争よりも性愛関係よりも「俺達にとって大切ななにか」を描こうとしています。大切な何かを「男の友情」と書いてしまえばそれまでですが、俺達にとってありふれているけれどこれまで描かれなかった「普通の男たちの友情」を私小説のように描く。

 この男たちの機微は女には一見わかりにくいものです。友人が死んでも、いつもの男同士のノリで笑います。男たちは簡単に泣きません。一昔前なら黙って煙草を吸ったかも知れません。今は煙草をすいません。男たちは笑う。ただただ笑う。いつものノリを演じることが亡くなった友への餞なんですよね。変わらぬ友情、でも少しずつ変わっていくみんな。男達のノリの笑いが友情の証のように彼らは笑います。

 「あの頃。」は過去の話ですが何かを乗り越えるわけではない。友人の死すら笑い、また毎日が始まる。「くれなずめ」に至っては日が落ちるまでの永遠の合間を漂っているように笑う。あの頃の毎日も友人を亡くした痛みも笑って書き換える。日が暮れるまでの時間。。。人が生まれ死ぬまでの時間は暮れていくだけの時間。日が落ちるそのときまで、笑ってたゆたう一生。男たちは笑う。ウルフルズの「ゾウはネズミ色」が響く。男性監督が静かに描く男たちの物語は笑いと諦感、言葉にできない感情を描いた作品だった。

 

 

 

※blogを書いた後にくれなずめが松居大悟監督が過去に上演した戯曲の映画化と知りました。いろいろ納得。なにも知らずに見に行ったので。若葉くんはどちらも似たようなキャラでした。おちょやんのイメージだと気弱な優等生でしたが、こちらの映画ではどちらもヤンチャ男子でした。あの頃。では夢芝居を歌っていて感無量でした笑。