kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

「満州国」総理の息子、張夢実

 日中戦争関連の本を読み進めているのですが、こちらの本は日本戦犯の管理所長の回想です。日本戦犯についてはもう少し本を積み重ねてから書きたいので今回ははしょりますが、満州国清王朝末期を支えた満州人の戦犯の話が興味深く、他では情報があまりないようなのでメモしておきたい。

 

撫順戦犯管理所長の回想 こうして報復の連鎖は断たれた

 

 私が興味を持ったのは満州国総理の張景徳の六男張紹紀=張夢実だ。張紹紀は戦後に張夢実に名前を変えている。著者の金源は夢実から当時の話を聞いている。

 

ja.m.wikipedia.org

 

 張景徳は、中国と国境を接するソ連がいずれは日本に代わって東北を支配すると考えていたようで、その日に備え、白系ロシア人を家庭教師として招いて夢実にロシア語を学ばせたため、流暢なロシア語を話せた。

 張景徳は夢実に名門の令嬢と結婚させたがったが、夢実は母の使用人の徐明に恋をしていた。二人の関係を断つために、夢実を日本に留学させることにした。日本での夢実の引受人はなんと東条英機(上記Wikipedia参照)だ。夢実は早稲田大学に留学し、東京の「愛国読書会」のメンバーと交際するようになる。この読書会は中国共産党の外殻組織であった。つまり、夢実は日本で中国共産党とつながることになる。驚きです。

 大学卒業して1943年に帰国すると、両親の反対を押し切り徐明と結婚する。帰国後は奉天株式会社の社長であったが、共産党の地下組織の責任者である李克農などと連絡をとって情報活動を行った。張景徳の名刺をもっていけばどこでも出入りでき、大量の情報を集めて地下組織に提供していたという。

 日本敗戦間近に、中国共産党ソ連に夢実を紹介した。その結果、ソ連満州国戦犯を逮捕できた。夢実は溥儀や父親らとともに満州国戦犯として「護送」された。ソ連の収容所で一緒に生活したが、夢実の本当の正体は父親ですら知らなかったという。

 夢実は満州国戦犯が中国に移送される二ヶ月前の1950年5月、周恩来の指示で帰国し、撫順戦犯管理所に配属、管理教育科で著者とともに6年間仕事をしたのだという。

 夢実はその後、北京国際関係学院の日本語学部主任となり、2004年に中華人民共和国の第7期全国政協委員となったそうだ(上記Wikipediaから)。

 なんて数奇な運命だろう。夢実の情報は少ないが、満州国総理の息子として育ちながら、日本で中国共産党と出会い、情報活動し、撫順戦犯管理所では自白を引き出した。

 張夢実について分かったことがあればここに書き記していきたい。