kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

もうひとつのささやきーーー不労所得という欲望

 もうひとつの「声」ではなくもうひとつの「ささやき」。声ではなくささやきにしたのは、悪魔*1のささやきをイメージしたから。働きたくない、働くのが嫌だという層のもうひとつの生き方として不労所得を得るという生き方がある。IT技術の進化によって、これまでよりは容易に不労所得を稼ぐことが可能になりました。

個人投資家デイトレーダーの登場

 このあたりはあまり詳しくないので思いつきで書いていきます。90年代後半から00年代は、金融とIT技術が融合し、個人が金融市場に参入することが容易になりました。ネットの個人投資家の登場です。なかでもデイトレーダーとなり、流動性の高い市場で売買を繰り返し、一気に稼ぎ有名になった若者達が現れました。ITバブルで荒稼ぎした若者に憧れて、参入して行った人たちは多いでしょう。市場の波に呑まれながらも、未だに跡を立たない生き方です。バブルが弾けても、リーマンショックがあっても、若者を吸い寄せる生き方になりました。一攫千金に憧れる人をひきつけてやみません。

 もちろん、誰もがそんなに簡単に稼げないのですが、ごくまれにサラリーマンの生涯年収以上を稼いでいる人もいます。しかし、彼らはリタイヤしません。秒速の市場の刺激にはまっていきます。あふれるほどお金を持っていても、数字に終われて生きているように傍目には見えますね。それだけあるのなら、もっと自由に生きたらいいのにって思ってしまうんですけどね。

ブロガー、アフィリ、YouTuber、エトセトラ

 このあたりは私なんかが詳細を書く必要がないと思うので書きませんが、ポイントはクリック「数」、ビュー「数」です。クリック数、ビュー数を稼ぐために必死にならざるをえません。

 個人投資家でもYouTuberでも、数字にはまって追われていくようになるんですよね。金の魔力に嵌まっていきます。そうなると、サラリーマンとしてハードで働くか、自営として数字に終われて働くかの違いしかありません。もちろんそれが楽しくてはまっていくなら、それはそれで自由だと思います。刺激がない毎日では辛いという人たちもたくさんいますからね。

まとめ

 資本主義社会でハードな労働力を提供してサラリーをもらうのか、利益追求するために数字を追っていくのか。。。そういう話に過ぎないので、「自立/自律した個人」として資本主義社会を支えていくのだと思います。不労所得ラクそうに見えて数字に終われる生活になるんですよね。もっとラクして生きていけないもんなのかしら。まぁ、月給と不労所得がバランスよく稼げるといいんですけどね。お金は余裕を生みますし。

 前回のblogに書いたように、ハードな労働からは撤退し、生活費を抑えて自由時間を確保する生き方は資本主義経済の「競争」から降りていく生き方だ。一方で、不労所得を得る活動は、月給による労働からは開放するが、更なる市場競争へ突入する。それはそれで疲弊するので向き不向きがあるかもしれません。

 

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*1:資本主義という欲望の悪魔