kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

もう一つの声(3)ーーー半分降りてつながる。素人の乱、ギークハウス、しょぼい革命、山奥ニート

 

 近代の「自立/自律した個人」ではない生き方の模索として、前回は90年代後半以降に社会に広がった厭労働感についてまとめた。

 

kyoyamayuko.hatenablog.com

 

 働きたくない。働けない。あんなに頑張れない。なんで働かなければいけないのだろう。安定した大手企業に勤めるために小学校時代から受験勉強のラットレースして、良い大学へいき、就職しても報われない。なんでこんなに苦しいんだろう。頑張っても報われない。働いても報われない。この生きづらさを変えていこうとする動きが現れます。

前史ー法政の貧乏くささを守る会から「素人の乱」へ

 デフレの不景気、就職氷河期時代に起こった運動が90年代半ばの松本哉*1の「法政の貧乏くささを守る会」でした。法政大学は学生運動の牙城の一つでした。90年代半ばまで法政に限らず明治大学など左翼の「アジ文の立て看板」がありました。しかし、大学の再開発で古臭い建物が壊され、新しくキレイなタワーに立て替えられていきます。

 アジ文の立看板、略称「たてかん」はこんな感じです*2。今の学生はほぼ見たことないかと思います。画像を探していたら、このアジ文の文字のことを「ゲバ文字」ということを知りました(笑)。

 ちなみに、90年代半ばでは、誰もこんな看板に興味なくスルーしてましたよ。ごく一部の学生がたてかんを作っていたのだと思います。

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アジ文の立て看

 松本哉たちは大学当局が再開発という名で学生運動の名残のある汚い学生会館や看板を消してクリーンなキャンパス にしようとする流れに抵抗します。面白おかしく抵抗しますが、よく見ると真面目な権力闘争でした。なお、都心の私大の学生運動のたてかんは大学の再開発で消滅し、2000年代のキャンパスはキレイになり無害化され、学生自治も消えていきました。

 大学を卒業すると松本哉らは高円寺を拠点に2005年に「素人の乱」の活動をはじめます。最初はラジオスタジオだったのですが、それがリサイクルショップになっていきます。もちろんショップの経営だけでなく、さまざまなイベントを催し、ゆるいつながりが生まれます。ここで注目しておきたいのは商店街を拠点に生業を始めたことだ。リサイクルショップを経営することで自活することが可能になった。彼らは仲間とゆるく働き、運動やイベント活動などして生活している。

 素人の乱は、法政大学から出発したことがあって学生運動の流れを組みながら、面白く「脱資本主義」を目指す運動といってよいだろう。「高円寺」は彼らを中心にゆるく生きる人たちのたまり場のようになっていきました。

貧乏人の逆襲! (ちくま文庫)

世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方 (単行本)

 

phaのギークハウスの登場 

 1978年生まれのpha*3はもろに就職氷河期世代と言ってよいだろう。京大の寮に住むことで家族から解放されました。彼が暮らした熊野寮は学生の自治寮であり、学生運動の拠点でもあり、自由な気風の残る寮でした。

 寮の楽しさと開放感を堪能した彼は、時代の雰囲気からいっても「働きたくない」と思う気持ちがわきます。とはいえ、男性であり、京大出身ならば同世代の中では優良な就職先を選べたはずですが*4、自分なりに就職するも働きたくない気持ちが募ります。Phaはついに「ニート」になる道を選び、東京に出てシェアハウスの経営を行うようになります。また、ブロガーとして発信して行くようになります。

 2010年に「ギークハウス」という趣味を中心としたシェアハウスを立ち上げ、これがブームとなり広がっていきます。シェアハウスは同好の士の集まりから民間企業が経営するものまで広がっていきます。これは「仲間と暮らしたい」という欲求というよりも、都会の高い家賃を低く抑えて暮らしたい他者の集まりが求めた「一つの解」でもありました。収入のあがらない時代、デフレ時代の申し子のように静かにシェアハウスが広がっていったのです。

 phaの特徴は、シェアハウス生活とその生活のあり方をネットで配信したことに大きな意味があったのかもしれません。ネットを介して「こんな生活があるのか」と知られていったのです。

 シェアハウスはコミューンとは何が違うのでしょうか。ギークハウスは「趣味」という共通性はあっても、緩いつながりに過ぎません。目的が強すぎない弱い紐帯で生活の場をともにするというところが新しかったのかもしれません。シェアハウスの家賃と光熱費を払えば、あとは何をしていても自由です。但し、phaは2019年にシェアハウスから卒業し、現在は一人暮らししているそうです。

 phaは家族の話をあまりしません。勝手な想像ですが、彼は京大に合格するくらい頭が良いわけですが、受験勉強に疲れたのではないでしょうか。親から勉強するように言われて合格しても、次は就職して働かなければならない。頑張りつづけなければいけない人生にふっと嫌気がさしたのではないでしょうか。彼の本を読んでいると「めんどくさい」という言葉がよく使われていますが、それを戦略的に使っているそうです*5。「めんどくさい」「だるい」アピールすることで頼られないようにするというようなことが書いてあったと記憶しているのですが、そんな彼の文章を読んでしみじみ「生まれながらに能力が高いため、周りから期待されてやらされてきた人生なのだろう」と思いました。特に親は過剰に彼に期待したのかもしれませんね。

 「だるい」という言葉が彼の自由を確保するお守りになります。彼が「ニート」になって生き直したことはやけに納得するのです。自分のやりたいことをして、ラクに生きるために、最低限の稼ぎでそこそこ暮らせる方法を彼は編み出します。その姿に共感した人は多いのではないでしょうか。

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない (幻冬舎文庫)

 

えらてんのしょぼい革命のススメ

 「えらてん」こと矢内東紀*6は更にアグレッシブに「働くのが嫌なら仕事をやめて自営すればいい」と「しょぼい革命」を提案します。しょぼくてもしょぼいなりに食っていければいい。「できない人間なりに仕事をして食っていく方法」をしょぼい革命と呼んでいます。

 2015年に豊島区の商店街を拠点にしてリサイクルショップやシェアハウスなどやり、一躍有名になったのかイベントバー「エデン」かもしれません。稼ぐ方法ならいろいろある、大金がなくても起業できるという提案が新しかったかもしれません。YouTubeの配信や書籍から影響を受けて起業した人も多いでしょう。「イベントバーエデン」が広がっていきました。商店街を拠点にしている点が「素人の乱」に似ていますね。

 著作やツイッターでも公表しているようにえらてんは「双極性障害」を抱えています*7。また、彼の妻は統合失調症です。精神疾患を抱えていてもアグレッシブに活動し、稼ぐ方法を編み出しました。また、彼の父親は学生運動の闘士であり、彼自身は親が運営するコミューンで育ちました*8。「革命」という言葉が使われるのは単なる偶然ではないのです。学生運動の系譜の先にえらてんの活動があるのでした。

 松本哉やphaとえらてんが大きく異なる点は結婚し、子供がいることでしょう。松本やphaは学生の延長のような生活をしているのに対し、えらてんは家族を形成しています。「しょぼい革命」はしょぼいどころか家族を養っているので「すごい」ですよね。松本やphaは「家族」をもつ責任の重さより自由を選んでいますが、えらてんは自由でありながら更に家族まで形成するアグレッシブさです。コミューンで生まれ、育ったえらてんは、収入の有無で結婚を考えていない、収入と結婚の常識にしばられていないところがあります。

しょぼい起業で生きていく

しょぼ婚のすすめ 恋人と結婚してはいけません! (しょぼい自己啓発シリーズ)

 山奥ニート、どこでも生きていける方法

 以上の三つは都心で展開された「新しい動き」ですが、IT技術の進化で「山奥」で実践 する者が現れる。愛知県名古屋市出身の石井あらたは、教育実習でのパワハラで働くことが怖くなる。両親ともに小学校教師のため「教師」以外の職業選択のイメージがわかなかったのかもしれないですね*9

 ネットで知り合った友達に提案されて、和歌山県の山奥の家で生活を始めます。家賃と光熱費等で月二万払えば、あとは自由なのです。山奥で暮らすことで生活費を落とし、その分だけ少し働いて稼ぐという生活。過疎の村には「定職」は少ないが、季節ごとの生業がある。みかんや山菜などの収穫作業、夏、冬休みの観光業など。そこで働いて稼いでおけばあとは自由なのだ。wi-hiがあればネットができ、Netflix、AmazonPrimeで映画も見放題、オンラインゲームもできる。ひきこもりやニートが子供部屋で遊んでいた環境がすべて整っている。一番大切なことは、小うるさい親から「独立」して文句を言われないことだ。

 生活はリビングの共同部屋と個室がある。個室から出てこなくてもOK。最低経費を支払い、食事当番の時だけは食事を担当すればあとは自由だ。コンビニまで車で1時間の山奥なので、その環境に堪えられる人がやってくる。個室で閉じこもっていたニートにとっては、山奥でも気にならないし、自然の中なので人の視線を感じずに自由に出歩けて開放感がある。

 山奥ではなくて名古屋でもできたのではないかと思ってしまいそうだ。東京だってできたわけだし。しかし、名古屋は家賃も高いし、光熱費、食費を合わせると最低12~13万円は経費がかかるし、それをアルバイトで稼ぐとすると月20日間は働く必要があるだろう。それはしんどい。素人の乱、しょぼい革命は都心の商店街だから生業(リサイクルショップ、イベントバー)が成立していたことが分かるだろう。都心だからこそ人が集まり、稼げるのだ。

 もしくはphaのように「ギーク」、特殊な才能があれば一定の収入を得ることもできるかもしれない。東京でもなく特殊な才能が無くても生きていける方法を編み出しのが「山奥ニート」の新しさなのかもしれない。人口減少社会の日本では、地方に空き家が増加している。低価格、下手したら無料でも貸したい大家はいるだろう。実はこの「山奥暮らし」の形態は日本では細々と続いていた。昔から北海道などの山奥に移住して住んでいる人はいた。でも、この暮らしをネットで配信し、共鳴する人たちが出てきて共に暮らしはじめるところが新しいのかもしれない。

 コミューンと比較をしよう。山奥ニートの彼らは、畑を作るが失敗する。作りやすいものを作るが、自給自足を目指していない。食材は近所の農家や地域のスーパー、Amazonに頼っている。過疎地域のすみずみまで行き届いた日本の販売流通網のおかげで、郵送料さえ払えば食材はどこに住んでいても手に入るのだ。資本主義社会を否定するのではなく、今の経済社会を利用して自分なりに生きる。利潤を生み出すためのハードな労働をやめて、生活コストを下げて、流通インフラやネットインフラを生かしてカスタマイズして生きる。資本主義社会から半分降りて、自由に生きる。誰かと話したければネット配信すればいい。興味を持った人があなたを訪れるだろう。そのうち自ずと人が集まって来る。

 石井あらたは結婚した。子供はまだいない。今後の行方に期待したい。

 

「山奥ニート」やってます。

  

 まとめ

 大きな流れから語ると、素人の乱熊野寮の開放感を体験したphaのギークハウス、コミューン育ちのえらてんのしょぼい革命は学生運動の遺産を引き継いでいるといえるだろう。マルクス主義思想は消えたけれど、あの時代の自由に生きる雰囲気、収入がすべてではない生き方は継承されたのではないだろうか。山奥ニートの彼らが住む住宅は、元教員らがなんらかの理想の元に建てた家であり、使用されなくなって彼らが住むようになったのだ。先人の撒いた種が、ゆるく広がり芽が出たのだ。「理想」は消えたかも知れないが、その実践の跡に彼らの居場所を提供した。日本のどこかに、都心のビルに、商店街の片隅に、山奥に、彼らはたどり着き暮らしている。

 大きな思想は消えて、彼らはひたすら「個人」の生きやすさを求めて動いた。自分にとっての「生きやすさ」「暮らしやすさ」は、他の誰かにとっても生きやすく暮らしやすかった。ネットを活用して自分たちの暮らしを配信すると共鳴する人がいた。点と点が繋がった。

 生きやすさのポイントは、ハードな労働からの解放から始まる。ハードな労働は終身雇用制の亡霊であり、安定と引き換えに「今」を買い叩く生活だ。老後のためにすべてを擦り減らして働かなければいけない。 

 「今」を生きることは、具体的には「自由な時間を取り戻す」ことだ。これまであげた事例のすべてに共通するのは生活費のコストを抑えて自由に生きる方法だ。それはphaやえらてんのように積極的に選択して行動するものもいれば、パワハラ等で「ひきこもり」「ニート」になり消極的に選択した場合もある。この暮らしをやってみると思っていた以上に「開放感」があった。

 新しい動きは、宿り木のような暮らしかもしれない。一時的な生活なのかもしれない。phaも共同生活から一人暮らしに切り替えた。年齢によって暮らし方も変わっていくだろう。途中でこの生活をやめて働き出したっていいだろう。

 「老後はどうするんだ?」という今の社会の常識が囁いてくる不安もついてまわるだろう。でも、そもそも「今」働けず、何もできず、「俺の将来はどうなるのだろうか」と鬱々と一人部屋に篭っているよりは、「今」できることをして生活してみる。生活することで「今」を生きることができる。自分ができるだけ気持ち良く、楽に暮らせる生活を探してみる。自分なりに生活をカスタマイズしてみる。日本社会は奥深い。都心にも山奥にもあなたの居場所はきっとある。 

 「自立/自律した個人」における「経済的自立」は、収縮する社会では重い労働と責任が待っていて生きにくい。今の社会のいいところに乗っかって、自分なりにカスタマイズして生きていく。自分がラクで生きやすいパーソナルな生活が、他者にも共有されてソーシャルなライフが始まり、新しいコミュニティが生まれる。

 

 夢のあることばかり書いたが、最近の話もしておこう。新型コロナウイルスの大流行は、これらの新しい動きを一変させた。シェアハウスやイベントバーは感染リスクが大きく事業ができなくなっている。山奥ニートは新たな入居者は募集を中止している。コロナ下でようやく築いた居場所を失った人もいるだろう。100年に1度の厄災はこの小さな足跡をさらおうとしている。

 

■シリーズをまとめました。通して読むと全体像がわかります。

kyoyamayuko.hatenablog.com

 

*1:松本哉 - Wikipedia

*2:こちらのサイトのUFO教授藤木文彦@UFOprofessorさんのツイートから引用。フォントとしてのゲバ字 - Togetter

*3: pha - Wikipedia

*4:同時代の京大出身理系の女性が地方のIT子会社などに就職しているし、東大文Ⅲの女性は地方銀行に就職している時代でした。信じられませんか?能力があっても弾かれるのです。東大、京大出身だからといって大手に勤められるわけではないのです。そして「東大なのに」と逆差別を受けることもあるそうです。90年代半ばには東大には就職課はありませんでした。

*5:この本でphaが語っていました。

「死にたい」「消えたい」と思ったことがあるあなたへ (14歳の世渡り術)

*6:矢内東紀 - Wikipedia

*7:そのほか彼は宗教家、政治家などの側面もあり、一言では語れない人物です。

*8:この対談で親について、コミューンでの生活について語っています。親の運営するコミューンは弁当屋などして小規模で存続しているようです。

しょぼい生活革命

*9:愛知県は自動車産業が盛んで、労働人口不足。人口流入県なのです。自動車産業なら職につける地域です。しかも、派遣でも給与の高い地域なのです。