大津中学生自殺事件。あなたはどのようなイメージを抱いているだろうか?
私のイメージは、
クラスメイトからイジメの情報があったのに担任が適切な対応をとらず、イジメで自殺したというものだ。
イジメアンケートでもイジメの指摘があったのに学校も、教育委員会もそのことを公開せず隠していた、というイメージだ。
その後、加害者と学校、教育委員会は社会的バッシングを受けて大津市は第三者委員会を設置し、報告書を提出。加害少年のイジメによる自殺と認定された。
こちらのWikipediaを読んでみて欲しい。加害少年のイジメの凄さに許せない気持ちになるだろう。
当時の私の記憶としては、加害少年のイジメのおぞましさに皆が怒っていたという印象だった。
この事件をきっかけに「いじめ防止対策推進法」が可決された。社会に大きなインパクトを与えた事件だった。
しかし、私はこの本を読み、被害少年の自殺の原因はイジメだと一概には言えないと考えるようになった。
自殺の原因はなにか
地裁では加害少年のイジメが自殺の原因が争われイジメによる自殺と認定されたが、高裁ではイジメの原因として家庭問題があげられている。
下記の内容を読んでみて欲しい。あなたはどう思いますか。
家庭問題についてはWikipediaには記載がほぼない*1。上記の本から高裁判決文の要約を引用してみよう。
【当事者の主張】
①別居、および離婚の見込を告げたこと(10月10日)
B(引用注:加害少年)は、2月にX(引用注:被害少年)の母が、7月に長姉が、いずれも父と不仲を理由に別居し、自殺前日には母がいつ自宅に戻るのか尋ねたXに離婚も考えている旨告げるなど、家族関係が崩壊していたと主張。 以下略
②体罰
原告父がしつけと称して小学生の頃から厳しく叱責し、説きに殴打したり足蹴にし、中学生になっても顔面にあざができるほど殴打しており、懲戒権をはるかに逸脱した身体的虐待を加えてXとの関係が悪化していたと主張。以下略
③ゲーム機取り上げ(7月下旬)
Bによると、Xは7月中旬のテストの成績が良くなかったため父にとって学習塾に通わされ、成績が良くなるまで大好きなゲーム機を取り上げられていた。
④友人関係の制限(9月21日)
Bは、原告父がXの問題行動の原因が被告少年らにあると決め付けて校外で被告少年らと遊ぶことを禁止するなどしてXの居場所を失わせていったと主張。以下略
⑤発達障害の疑いを告げる(9月25日)
Xが祖父母宅から現金を持ち出していたことが父に発覚。発達障害を疑って心療内科での診察を検討していた原告父から「お前は病気である」などと言われ、Xは自宅を飛び出して自宅マンション1階のソファで一晩過ごすなどし、精神的に大きな衝撃を受けていた。このようにAは主張した(9月29日時点で受診予定は10月13日であった(地裁35頁))
⑥現金持ち出しに関する反省文(10月7日~10月10日)
Xの現金持ち出し発覚後、中間テスト期間に入り、終了後の10月7日から自殺前夜まで、Xは複数回の書き直しを経て父方・母方の祖父母に各三通の反省文を作成した。Bは、被告らによる恐喝を疑う父から厳しく近員使途を追求され、叱責されながら手書きで繰り返し反省文を書き直させられたことで心理的圧迫を受けたと主張。Aは、Xが反省文の書き直しをさせられた際、「わるい友達は一人もいない。それだけはわかってほしい」(地裁11頁)と記載していたと主張。以下略。
⑦自死当日の状況(10月11日)
Aは次のように主張。死亡当日、Xは自宅テレビの後ろにパンの袋を捨てたことで父から午前7時頃電話で叱責され、通話の最中にXが一方的に電話を切ったたため午前7時57分にも父から再度電話を受けて注意された。
Xはその約13分後の8時10分頃自宅マンションから転落死した。
間山広朗:253ー255
この家庭の話を読んでどう思っただろうか。
Xの家庭は夫婦別居し、姉も夏休み前には母親の方へいってしまった。自殺前日に母親から離婚すると伝えられている。父親はしつけに厳しく、友人関係を父親から責められ、問題行動をおこすのは「病気」のせいだと言われ、病院の予約をとられる。自殺当日は朝から電話で怒られて、電話を途中で切ったことで怒られて、その約10分後、登校前に自宅マンションから飛び降りた。
イジメ自殺の印象が180度変わったのではないだろうか。家庭問題についてはほとんど報道されていない。Wikipediaにも触れられていない。
地裁ではイジメの加害行為の認定が中心であり大津市の第三者委員会の報告書を前提に自殺とイジメの因果関係を認めた。
高裁は過失相殺を適用して、イジメ以外の原因と相殺して「損害賠償額」を決める。この裁判は「損害賠償請求」であって「真理」を明らかにする場ではない。自殺の原因はどちらにあるのか。損害賠償額は加害少年に4割を請求した。ということは、自殺の原因は家庭が6割、イジメが4割ということなのだろうか。
念のため、いじめ問題と家庭問題を対比した表を添付する。
間山広朗,262ページ:2021,「未完のいじめ自殺ーー物語としての判決と羅生門的解釈ーー」『囚われのいじめ問題』 岩波書店
「真実」とはーーーあるのは羅生門的解釈だけなのだ。「わからない」ということに耐えられないからこそ生み出される物語
家庭問題を読んだ上であなたはXの自殺をどのように解釈しただろうか。正直言って私は家庭にも問題があるのではないかと思いました。
でも、なぜ自殺したのかはXが遺書を残さなかった以上、永遠に知ることができない。どこまでいっても推測でしかない。
加害少年と言われる友達が見たX、父親が見たX。それぞれになぜ死んだのか推し量り、イジメなのか家庭問題なのか裁判で戦った。当事者の彼らにとっても永遠の謎なのだ。
著者である間山広朗は
判決文を物語として検討してきて「わかった」ことは、皮肉にも決定的なことが「わからない」ということであった。
264ページ
と語り、映画『羅生門』に例えている。そして、判決の物語の外に出て「わからない」意味について検討している。
「遺書の不在」について間山はこのように語る。
Xは遺書を遺さなかったのではなく、A・W・フランク(Frank 1997/邦訳2002)が示した「混沌の語り(Chaos narative)」にすら届かない、声以前の声としての自殺そのものを遺した。
略
Xの死の意味を物語的に成就して「わかった」ことにすること、つまり「過去=亡くなった人を裏切る」可能性を拒否し、「わからなさ」に耐え続ける
269
もう、これしかないのだろう。声以前の声、彼の最後の選択を静かに受け止めて合掌するしかない。。。。
彼の14年の人生を受け止める。
でも、子供の自殺をありのままに受け止められない。身近な学校だけではなく、地域社会だけでなく日本全体で衝撃を受けた。だからこそ、イジメ自殺物語が構築されいじめ防止対策推進法までできた。
いかにこの問題がいじめ自殺問題として社会で構築されていったのか。この本では社会学者が構築主義のフレームに則って実証的に研究している。そこも読みごたえがあるので一読をオススメします。今回は長くなるので触れません。
今でも大津中学生自殺事件は「イジメ自殺」の象徴的な事件として社会では捉えられています。そこは高裁判決も踏まえて相対化していくべくなのだと思います。とはいえ、遺族の家族感情を踏まえてマスコミも表現が難しいのかもしれませんね。書き方を間違えると、自殺は家族の責任と捉えられてしまいます。それはそれで酷でしょう。加害少年と言われる彼らのバッシングと同じように遺族も非難を浴びる可能性があります。
彼の自殺をどのように表現すればいいのか。社会に一つの課題を遺しました。
加害/被害の白黒では語ることができない問題をどのように表現し、伝えることができるのか。視聴者/読者の第三者にも忍耐が問われます。白黒では語れない問題をどのように受け止めるのか。
いじめ自殺ってなんなんだろう?どうしたらいいんだろう?
この本で北澤毅は「いじめ」と「自殺」の関係性を問い直しています*2。
「いじめ」と「自殺」とのあいだには「病死」や「事故死」と同じような意味での因果関係が成立しているわけではない。
略
「いじめ」から「自殺」までのあいだには、自殺を試みる人間が自分の経験を「いじめ」と捉え「いじめは死に値する苦しみである」と捕らえるという、二段階に及ぶ解釈行為が介在している。そうでなければ、「いじめを苦に自殺をする」ことができない。
3ページ
言われてみたらもっともな意見です。
なぜいじめで自殺するのか。
「いじめ」と「自殺」を因果的に結びつけているのは慣習になった考え方であり、それは私たちの社会が30年以上にわたって作り上げた文化の一部であるからだ。
3ページ
北澤のこの指摘は極めて重要だろう。なんとなくイジメにあって死ぬほど辛ければ自殺するのは当たり前のように受け止めているが、実はたかだか30年の慣習に過ぎないのだ。この指摘は社会学者の面目躍如な指摘だろう。
北澤によれば、
日本の主要マスメディアが、1985年に1月に発生した水戸市中学生自殺事件を「いじめ自殺」事件として報道したことが「いじめ」が自殺の同期の語彙となる社会の成立を促した*3
22ページ注(1)
とあるので、1985年にマスメディアが使い、いじめ自殺という用語が広がっていった。昔からあるものではなくて、80年代に日本社会に広まった概念なのだ。
では、いじめ自殺問題をどのように解決すればよいのだろうか。この本の終章の北澤の「『囚われ』の意味するところ」を参照にまとめておこう。
北澤はいじめ問題の解決として「個人レベルと社会レベルでの『囚われ』からの解放戦略」[314ページ]を指摘している。
個人レベルの戦略としては、「『いじめ経験』を書き換えるーーー再著述化実践という方法」[314ー316]を提案している。ナラティブセラピーの手法を使い、「いじめ問題」に固執せず再解釈する。。。というものだ。
でも、これは難しいんじゃないかな。いじめられたことを書き換えることは、実際に本当にいじめられたときには加害者にとって都合のよい方向へ向かうよね。それよりも、
イジメと自殺を切り離すことだろう。イジメ「られたから」死ぬ(自殺)ということと結び付けない。「られたから死ぬ」ではなくて「られたから逃げる/戦う/訴える」とイジメを回避する様々な手法とつなげる。
結局、イジメを回避する方法が少ないからこそ、究極的な回避策である「自殺」に結び付くわけですよね。イジメの回避策、防止策の豊富化こそイジメ「と」自殺の距離を遠ざける最善策だろう。
社会レベルの戦略としては「『いじめ物語』の解体」[316ページ]を提案している。いじめ物語とは、簡単にまとめると「いじめの苦しさは自殺に値する苦しさ」という物語のことであり、その物語を社会が共有している。苦しさを示す表現として「自殺」という手段をとることは、最大限の苦痛の表現として社会が受け止めている。
この自殺物語を解体するには、北澤は「因果的必然ではなく、社会的構築物であり文化的慣習であることを理解すること、言い換えれば、自分の苦しみの由来を理解することができれば、苦しみから解放される可能性が高まる」[316ページ]と述べる。いじめられると「死にたい」と思うのは、社会がいじめを「死に値す苦しみ」と評価しているからだ。だからこそ、いじめにあうと自殺という行動に促される。
私もいじめ物語の解体には賛成だ。常々思っているのだが、「いじめはダメ」というのと同じ以上に「自殺はダメ」と言うべきなのではないだろうか。まず「自殺しない」。
「あなたの命を守ります」という力強いメッセージこそ大切だ。命を守るための行動の選択肢を示すべきだ。
いじめを止めるために、学校と保護者は一丸となっめ向き合うと示すこと。
自分は無力で無価値だと自殺する前に、まずは死なない、あなたには選択肢ががあるというメッセージを社会が発信して、いじめ自殺を書き換えていくことが必要なのだろう。
それでも自殺はなくならないのかもしれない。
子供の自殺の衝撃に大人、社会は耐えられない。辛いのだ。本当に辛いんだよ。そのことだけは子供達よ、どうかわかっておくれ。
こんなに辛いものを見たくないのだ。だから、自殺の理由を必死に探す。私たちは「いじめ」にすがりつくのだ。加害者を探して裁きたいのだ。悲しみを悲しみのままおいておくことができない弱い生き物だから。
(参考)
裁判の流れ
●刑事事件(少年審判)
2014年(平成26年)3月14日、大津家庭裁判所は加害者3人の内、2人を保護観察処分、1人を不処分とした。
●民事事件
2012年(平成24年)2月24日、加害者とされる同級生3人とその保護者および大津市を相手に、遺族は約7720万円の損害賠償請求を大津地方裁判所に提訴した(大津地方裁判所平成24年(ワ)第121号 損害賠償請求事件)。
2015年 (平成27年)3月17日、大津地裁は大津市が設置した第三者委員会の報告書に基づき、いじめの存在を認定した。大津市と遺族側が和解。
加害者とされる生徒との裁判は分離され、審議継続され、
2019年(平成31年)2月19日、大津地裁は同級生3人のうち2人に対して、約3758万円の支払いを命じる判決を言い渡した。他の1名に関しては、一体的となっていじめに加担したとは言えないという理由から、損害賠償及び管理責任を認めない判決となった。
2020年(令和2年)2月27日、大阪高裁の二審では元同級生2人に計約3750万円の支払いを命じた一審の判決を変更し、賠償額は2人に計約400万円にまで大幅に減額、支払うよう命じた。 両親側にも家庭環境が整えられずに男子生徒を精神的に支えられなかった過失があるとして、損害額から4割を減額。大津市からの和解金の額などを差し引いた計約400万円が相当とした。(平成31(ネ)738 損害賠償請求控訴事件)
※訴訟の流れはWikipediaからまとめた。