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なぜ日本は戦争を選択したのか(15)軍事費抑制とニニ六事件の高橋是清暗殺で「財政規律」崩壊ーーー松元崇の財政分析から学ぶ

 前回では金解禁不況から回復させて健全財政政策を実施した。このシリーズをお読みになっている方はワンパタなので予測できているると思うが、明治憲法下での健全財政とは軍事費抑制なのだ。いつものパターンのはずだった。しかし、ニ・ニ六事件で高橋是清は暗殺され、明治政府以降のこの流れが途絶えてしまう。財政規律は破られ、軍事費にとめどなくお金が流れていくのだ。

 

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 今回も松本隆さんの本の13ー15章を参考に、高橋是清が財政規律を守るために軍部と戦い、テロに破れて国家が破綻していく流れをまとめていきたい。

恐慌に立ち向かった男 高橋是清 (中公文庫)

高橋是清の軍事費抑制の考え方

 高橋是清の軍拡予算に対する考え方は、外交交渉の背景として諸外国から侮りを受けないための軍備は必要としつつも、それは国力に見合ったものでなかればならないというものだった。高橋是清の『随想録』から直接本人の弁を聞こう。

軍備は陸に於て、海に於て、十分のものが出来た。併し国民の力がこれを支へて行くことができない。若くは更にこれを働かせるといふ時分に国民の力がこれを働かせるだけの力を持つて居らぬといふ風になれば、折角の軍備も矢張り何もならぬことになつて、侮りを受けることは同じことになる。*1

 歴史を知る我々にとって至極まともな考え方だとわかるのだが。。。そういう流れにならなかったのはなぜなのか、歴史からよくよく学ばねばならないだろう。

 また、当時の国際情勢においても軍事抑制論は主流であったのだ。当時の米国はフーバー大統領(1929ー1933年)時代であり、徹底した軍縮論者だった。満州事変の起こった9日後に、フーバー大統領は駆逐艦建造計画の半減を決定している。但し、1932年にフーバーを破って当選したルーズベルト大統領は軍拡に乗り出していったが。。。

軍部との予算攻防戦

 昭和9(1934)年度の予算編成にあたって、大蔵省は長期的に予算を23億円前後に抑制すべきだと発表した*2高橋是清は軍備に対して「国防の充実は必要だが、なるべくこれを最小限にとどめなければ国の財力は耐え切れぬ」と主張した。また、軍部を抑え込むために、各省の新規要求は原則として認めないこと、斎藤実首相の主導の下で外務、大倉、陸・海、首相の五相会議を設けた。軍部が暴走しないためのしかけであった。

陸軍との攻防

 予算編成過程で高橋蔵相と激突したのは荒木貞夫*3陸軍大臣だった。荒木貞夫陸軍大学校で弁論述を教えており、弁論が立つことで有名だったらしい*4。そんな荒木に対して高橋蔵相は、長期財政収支を示しながら「軍事予算の膨張はいたずらに外国の警戒心を刺激し、外交工作の機会を少なくするばかりでなく、予算内容の国防偏頗が国民経済の均衡を破ることになる」、「陸軍なんて予算をやると、すぐ戦争をするからな」と歯に衣を着せぬ発言をして対決した*5。この時点では軍と本音トークができたのだった。

 対決した荒木だったが、高橋是清のことは「心から敬服」していたそうだ*6高橋是清に予算を抑えられたあとに、荒木は竹槍があれば列強恐れるにたらずという「竹槍三千本論」を主張するようになったそうだ。有名な竹槍三千本論だが、それは軍事費抑制されたからこそ出来てきた言葉だったのだ。

 陸軍は、次の作戦として、農村予算へ口出してきた。軍部は農村問題は農村出身者の多い軍の指揮に関わるとして農業予算の拡充を求め、陸軍省軍務局がまとめた「皇国国策基本要綱」法案を提出したが、高橋蔵相は農村は自力回復すべきであると主張し、最終的に同法案を廃案にし、農村予算の増額を拒否した。き、厳しい。

海軍との攻防

 海軍は第二次軍拡計画要求4億4000万円を要求したが、大蔵省は1億円まで減額した。それに対して海軍は猛烈な復活要求を行い、伏見宮軍令部早朝が昭和天皇に内奏するという挙に出た。海軍がここまでしたのはわけがあった。軍拡路線の米国ルーズベルト大統領が大建艦計画を立てて、東洋進攻作戦を着々と進めているのではないかという危機感があった。何度も折衝して最終的に大蔵省減額案の1億円で確定した。

 高橋「健全財政」時代とは、ここまで軍部と戦うことを意味した。もちろん軍部は納得しなかったので裏工作に動きはじめる。前回に貼付けた表だが、22億円規模の財政を維持するということは、これだけの攻防があったわけだ。昭和10年度以降の流れをみるとまさに命懸けなのがわかるだろう。健全財政のため命を張った大臣と文官がいたのだ。

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軍部の閣僚スキャンダル攻撃

 高橋蔵相と正面対決したがぐうの音も出なかったことで、軍部は閣僚スキャンダルで倒閣運動をするようになる。さまざまなスキャンダル事件を手がけたが、最終的に「帝人事件」で斎藤内閣を倒すことになる。

 帝人事件とは、台湾銀行保有の定刻人絹株の買い受けを巡って大蔵省の関係者に贈賄したという疑義事件だった。軍事抑制を図る高橋蔵相及び大蔵省に一大打撃を加えることになった。スキャンダル攻撃はマスコミや国民の間に政府や経済界への不信感を大幅に高め、軍国主義国家への道ならしになった*7

 この帝人事件は、最終的に「今日の無罪は証拠不十分による無罪ではない。全く犯罪の事実は存在しなかった」と裁判官に言わしめる案件だった*8。ひどい話である。

 帝人事件を受けて斎藤内閣は退陣に追い込まれ、高橋是清も辞めた。しかし、後継内閣の蔵相は高橋財政路線を継承した藤井真信(元大蔵次官)となった。

まさに命懸けの昭和10年度の予算編成

 前年度にはやられっぱなしだった陸軍省は、「国防の本義と其強化の提唱」というパンフレットを出して軍拡の必要性を世に訴えた。このパンフレットは、政治、経済、文化を国策の中心である国防に従属させる、そのために経済の統制化を図るというものだった。後の総力戦体制の先駆け的動きだった。

 こに対して、藤井蔵相は陸海軍の大物だけでなく元老の西園寺公望らを訪問して精力的に根回しを行った。軍部と激しい予算の攻防のさなか、病身の藤井蔵相は喀血し、輸血を受けながら折衝。。なんとか予算案が正式決着案をみるや床に伏し、その後重体となり、年明けに逝去した。享年50歳。文字通り命懸けの折衝だった。敬意を表して写真を貼ります*9

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藤井真信

高橋是清再登板!決死の昭和11年度の予算編成

 齢81歳にして高橋是清は再登板します。昭和11年度予算編成にあたり、方針を自然増収分の「公債漸減方針」を掲げ、公債不消化から悪性インフレ*10への警告を発します。実際に金利が下げ止まり、民間資金需要の増大、コール市場から資金回収の動きがでてきていた*11

 このときの帝国議会(第67回)では「天皇機関説」が問題とされ、「国体明徴決議」*12が行われ、「広義国防国家」*13が唱えられるようになり、軍部の圧力は一段と高まっていた*14

 陸軍の概算請求は満州事件費に2億653万円、兵備改善費・資材整備費1億3302万円、一般新規に2055万円と膨大であった。それに対して大蔵省は1億5700万円、5500万円、364万円と査定した。高橋蔵相は悪性インフレを楯に抵抗したが、参謀本部青年将校らの強硬な姿勢でまとまらず、杉山参謀次長は単身総理官邸に乗り込むということを繰り返した。。。予算閣議の段になっても陸軍参謀本部がごねてまとまらず、高橋是清は世界地図をもって、対ソ軍の無益なことなどを説いて陸軍の要求を抑えてようとした。高橋はこのように批判した。

国防というものは、攻め込まれないように守るに足るだけでよいのだ。だいたい軍部は常識に欠けている。(中略)(陸軍幼年学校のように)社会と隔離した特殊の教育をするということは、不具者をつくることだ。陸軍ではこの教育を受けた者が嫡流とされ、幹部となるのだから、常識を欠くことは当然で、その常識を欠いた幹部が政治にまで嘴を入れるというのは言語道断、国家の災いというべきである。

藤村欣市朗『高橋是清と国際金融(下)』*15

※差別的表現があるがそのまま引用した

 ここまで厳しいことを言える人がいるのだろうか。この歯に衣を着せぬ厳しい軍部批判が発言が新聞で報じられたことが、是清の惨殺につながっていく。。。歴史を知る我々にとしては、まさに的を得た発言だと思うんですけど。これから手酷い国家の災いが待ち受けているわけで。。。

 このような決死の対決を経て昭和11年度予算は、総額22億7200万円で決着した。しかし、その実態は軍事関係の新規継続費を5億円から11億円へと倍以上積みました。この積み増し分は会計上の無理算段をかさねたものだった。

ニ・ニ六事件

 ようやくとりまとめられた予算案であったが、陸軍の急進派の中には財政当局に抑え込まれたという意識が強く、軍内部の不満が高まっていった。軍部が不満を高めていった一方で、世論は高橋蔵相の軍縮路線への支持も高まっていった。

 ニ・ニ六事件の直前に行われた総選挙では、与党である民政党(127→205)が大勝した。軍部と一緒になって与党を攻撃していた*16政友会は(242→171)は第一党をすべりおちた。*17

 総選挙の民意では緊縮財政、つまり軍縮支持だったのだ!。それもそのはずで、戦前最大のヒット曲「東京ラプソディー」がヒットした年が昭和11年なのだ。都市部は豊かさを享受し、浮かれていた。ニ・ニ六事件というと世相が暗いイメージだが、都市部では真逆だったのだ。青年将校の思い詰めた心情と都市部の市民とは断絶があった。

 ニ・ニ六事件*18で岡田首相、斎藤内大臣(前首相)、鈴木貫太郎侍従長渡辺錠太郎陸軍教育総監らが暗殺の標的にされたが,、高橋是清は銃撃されたあと、大きな刀傷を何カ所も受けるという惨殺だった。

 ニ・ニ六事件以降、高橋是清のように歯に衣を着せぬ批判ができるものはいなくなり、軍部の暴走の歯止めであった財政規律が崩れて、戦争へ突き進んでいくのである。

財政規律が崩れ、急速な勢いで軍事費が拡大する様子は次回から見ていこう。まずは、軍部と戦った高橋是清に敬意を表したい。享年81歳だった。

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高橋是清

※出典:高橋是清 - Wikipedia

 

 

今日はここまで!

 

高橋是清健全財政時代はまさに命懸けの予算編成でした。。。

 

 

*1:337の引用を再引用。

*2:341

*3:A救戦犯。荒木貞夫 - Wikipedia

*4:342

*5:341ー342

*6:342

*7:347

*8:347

*9:写真の出典はこちら。いいお顔ですね。 藤井真信 - Wikipedia

*10:ハイパーインフレーションのこと。悪性インフレとは - コトバンク

*11:353

*12:天皇統治権の主体であると主張し、天皇機関説を排撃した。国体明徴声明 - Wikipedia

*13:総力戦準備には軍備増強だけでなく,国民体位の向上や資本主義の修正などをも考慮すべき」という考え方。主に陸軍統制派の考え方。広義国防国家(こうぎこくぼうこっか)|日本史 -こ-|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−|Historist(ヒストリスト)

*14:天皇機関説を唱えることは禁止され、書物は発禁処分、美濃部達吉は右翼に襲われて重傷を負った。。。

*15:356ページの引用を再引用した。

*16:天皇機関説美濃部達吉を辞職に追い込んだ。

*17:357

*18:詳細はこちらをどうぞ。

ja.m.wikipedia.org