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私の墓にはルピナスを飾っておくれ

なぜ日本は戦争を選択したのか(11)世界はまさかの金本位制離脱へ、ブロック経済へーーー松元崇の財政分析から学ぶ

 シリーズ(10)では、旧平価の金本位制の復活(金解禁)のためデフレ経済を選択し、厳しい緊縮財政を行った。金解禁政策を争点にした総選挙で与党が大勝し、メディアも民衆も支持した。緊縮財政とは軍縮の実施である。世界的にも軍縮の流れにあり、ロンドン軍縮会議の参加して軍縮を実施した。政党政治は文化が花開き、軍部はそこまで力は強くなく、政党政治で国家システムをコントロールし、軍部を概ね掌握していた。しかし、金解禁不況は、シリーズ(9)で詳述した農村を更に疲弊化させた。経済的不安が大きくなり、テロの時代に突入する。

 

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 今回も松元崇さんの本の10-11賞を中心にまとめていきます。

恐慌に立ち向かった男 高橋是清 (中公文庫)

 

英国の金本位制の離脱!

 濱口首相が狙撃後の後継の若槻内閣においても井上準之介蔵相は金解禁を守るべく一層の引き締め政策を継続した。井上蔵相は規定経費削減策として官吏減俸と省局課の統廃合、軍人の恩給削減を打ち出し、緊縮の手を緩めなかった。反発をくらい避難されても経費削減の努力を行ったが、昭和7年度予算案は非募債主義をは貫けず、歳入補填公債に頼らざるをえなかった*1

 井上蔵相がここまで金本位制死守のために戦っていたまさにその時に。世界の金本位制は崩壊の危機を迎えていた!。

 1931(昭和6年)年5月のクレジット・アンシュタルト銀行(ロスチャイルド家オーストリアの銀行*2)の倒産に端を発したヨーロッパの銀行危機が国際的な通貨危機に発展し、9月には英国が金本位制から再離脱したのだ。そのような米国では失業率が急上昇し、大恐慌の様相を呈してきたのである。

 英国の離脱は、日本も再離脱するのではないかという思惑をうんだ。金輸出再禁止となれば円安となる。その思惑は、その損失をヘッジしようとした三井、三菱などの財閥によるドル買いを誘発し、政府は深刻な正貨流出問題に直面する。なんと井上蔵相は徹底したドル売りで財閥に対抗した(横浜正銀経由で)。しかも、ドル買い資金を枯渇させるために二度にわたって公定歩合を引き上げて金融引き締めを行った。

 そのような政策は実質金利を8%に急騰させ、ますます経済を落ち込ませ社会不安を高めた。

日本の金本位制の離脱、血盟団事件

 井上蔵相と財閥の攻防は昭和6(1931)年11月頃には鎮静化した。しかし、同年9月に勃発した満州事変の対応を巡って若槻内閣が崩壊し、犬養内閣が樹立。蔵相には高橋是清が就任し、12月に金輸出を再禁止(金本位制の離脱)した。 

 結局、ドル売りを行った政府が大損し、財閥の「大儲け」になった。その結果、三井、三菱の両財閥に対して世論から厳しい批判が沸き起こる。右翼、左翼両面から講義行動が繰り返された。

 批判をかわすために三井財閥は当時の1年の利益に相当する3000万円(現在は数百億円)の社会的寄付を行い、財閥批判する右翼のバックにいる北一輝に対して情報量として多額の寄付を行った。しかし、これが余計に世論の反感を買うことになった。

 昭和7(1932)年の2月に井上準之助が、3月に三井財閥の総帥である団琢磨が右翼のテロにより暗殺される。続に言う血盟団事件*3が起きる。嗚呼!

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井上準之助

※出典:井上 準之助 - 公益財団法人 東洋文庫

金本位制でなければどうなったのか?

 現在の変動レート制が当たり前になった世界から見ると井上蔵相が金本位制を死守する姿は滑稽に見える。しかし、当時はこれが国際的なスタンダードだったのだ。

 しかし、もし金本位制をとっていなかったらどうなっていただろうか。よりマシな未来が待っていただろうか。松元崇は、その未来を否定する評価をしている。松元の評価に耳を傾けよう。

 「明治30年に日本が金本制制を導入していなければ、昭和初期の混乱は避けられていたのか」(279)と松元は問う。答はノーだ。日本が金本位制を導入していなければ、井上準之助の金解禁がもたらした以上の通過の切り上げに見舞われ破綻していた可能性が高いと分析している。

 その根拠として、ルーズベルト大統領が1934年に国内リフレ策として打ち出した「銀買い上げ法」をあげている。もともと金銀復本意制をとっていた米国は銀準備のために高価格で銀を買上げる法律を制定した。その結果、世界的に銀価格の高騰をもたらした。その結果、銀本位制をとっていた中国に突然の為替レートの大幅引き上げを強いることになった。中国は、世界の大恐慌のなかで各国がデフレで苦しむなかで銀の下落(通過安)でによって比較的好調な経済だったが、この法案の結果、中国の本位通過である銀が大量に流出し、深刻なデフレに陥り、崩壊の危機に瀕した。

 もし日本が銀本位制のままであったとするならば、中国と同じ事態に直面したわけで、それは五倍の通過切下げの深刻さに見舞われた可能性がある。井上蔵相の金解禁による17%の通過切下げの比ではなく、井上デフレをはるかに超えるものであっただろうと分析している。

 金本位制でもダメ、金本位制導入せず銀本位制のままだったら更に深刻な事態に陥っていたのか。。。どうすりゃいいんだ。。。

高橋是清の方策

 高橋是清井上準之助は金解禁をめぐって対立したが、両者共に金本位制論者であった。では、どこで対立したのだろうか。それは、無理なレート設定による「正貨流出問題」で対立した。井上蔵相は、経済の実態を為替レートに強引に合わせるために「旧平価」で行ったが、これは大幅な円切り上げを意味した。井上蔵相も正貨流出は大きな問題と捉え、財閥のドル買いに対してドル売りと金融引き締めで対抗したのだった。その結果、金利が高騰したのだ。金利が高騰すれば産業振興への投資は縮小し、経済は悪化する。

 高橋是清としては、第一次世界大戦後に債務国から債権国となった日本は、産業振興の外資導入を図るため金本位制にすぐ復帰しなければならない事情はなく、その状況で無理な旧平価による金解禁を行って正貨流出を招くことは、産業振興に反することなので反対していた。若槻内閣が下野し、犬養内閣の蔵相となった高橋是清は、ためらないなく金本位制から離脱するのである。

 こうやってみていくと、当時の「金本位制」絶対主義の常識に取り付かれたのが井上準之助で、常識に囚われない柔軟な発想していたのが高橋是清だと評価できるだろう。    

 また、井上準之助の金解禁のタイミングは非常に悪かった。結果を知っている歴史家は、井上蔵相の金解禁は世界大恐慌という嵐に向かって窓を開けるような大失敗だと評価する。しかし、当時はそこまで不況ではなく、金解禁は一時的にデフレになっても最終的に景気回復する経済対策だと思われていた。でも、うまく誤魔化しながらもう少し先延ばししていれば、イギリスやアメリカも金本位制から離脱したんですよね。井上蔵相は仕事が出来過ぎた男だったのだ。見事な手腕で手早く金解禁して社会不安を呼び起こし、暗殺されてしまう。合掌。

 

 高橋是清がの手腕で金本位制から離脱して景気も回復させた。これで一安心だ!!!。

 

 と、なればいいんだけど。歴史を知る我々は高橋是清が暗殺されることを知っている。軍部のテロが相次ぎ、軍国主義化していくのである。それは次に書くとして、簡単に世界の情勢をまとめておきたい。

 

米国の動きーーー金本位制の離脱で世界経済は破局

 井上準之助が暗殺された1932年に行われた大統領選でフランクリン・ルーズベルトが当選、就任した。1929年10月の「暗黒の木曜日」(株式市場大暴落)から三年、失業率が上昇して深刻な恐慌になりつつあった31年秋から1年後であった。

 「暗黒の木曜日」はアメリカだけでなく世界的にもそれほど深刻に受け止められなかった。アメリカ人も米国の繁栄は永遠だと思い込んでいたし、日本も金解禁し、英国のイングランド銀行のノーマン総裁もこれで金本位制を離脱しないですんだと表明していた。米国の株価暴落は、他国の金本位制に有利に働くと見られていた*4

 米国の不況が大恐慌と認識されるようになったのは、「暗黒の木曜日」から二年後の1931年9月、ヨーロッパ銀行危機*5の影響を受けたドル切下げの思惑に対処するために、連邦銀行が引き締めを行い、金利が5%から11%に急騰したことで更に景気が悪化し、深刻な影響が出てきたためだ。失業者が1200万人を超えた。この状態の時に、満州事変が勃発したのだ。

 1933年4月、米国は金本位制を離脱した。

 第一次世界大戦後、アメリカは財政的に豊かになり、英国に代わって世界の国際通過制度の根幹である金本位制の中心となるべき立場に立っていた。米国連邦銀総裁やモルガン銀行のラモント総裁は国際的な金融危機に対処すべく金本位制の再建を求めていた。しかし、ルーズベルト大統領は正反対の決定を下した。

 世界の金の三分の一を保有し、旧平価を容易に維持しうると考えられた米国が金本位制から離脱し、更に1934年1月にドルの大幅引き下げを行ったことで、世界の金本位制は再起不能の状態となり、世界経済は破局に追いやられた。

ブロック経済

 歴史の教科書的に有名なのはこちらかもしれませんが、金本位制の崩壊と同時期に行われたのが英国のスターリング・ブロック経済だ。1932年8月に英国はオタワ協定を締結*6し、英国本国と自治領で得恵関税協定を結び、植民地を囲い込んだ。

 これにより、各国もあとに続き、国際的なブロック経済の流れが決定的になっていった。グローバル経済の秩序は失われていったのである。ここでのグローバリゼーション

低下は極めて根深く、「世界経済は1970年代まで、1914年の国際貿易の水準および投資水準に達しなかった」[ジョセフ・S・ナイ・ジュニア『国際紛争』]そうだ。

  第一次世界大戦までグローバルだった世界経済が、なぜ急速にブロック化したのだろうか。背景には「総力戦の思想」(経済戦の思想)があった。第一次大戦では、いかに多くの兵器・弾薬・軍需物資を生産して送り込むか、またいかに多くの資源を獲得して自給自足体制を築くかが勝敗の鍵を握ると考えられるようになった。その結果として生まれたのが「総力戦」という考え方であり、自給自足体制の構築という考え方であった。それで囲い込みをはじめるわけですね*7

 また、第一次世界大戦では、戦闘に負けていなかったドイツが経済封鎖によって負け、配線の結果、経済的に破局した厳しい現実は、戦争での経済封鎖の重要性に新たな認識をもたらしたそうだ。兵糧攻めで負けるのは本当に辛いですよね。日本の戦国時代をみていてもわかります。また、有効な手段だから利用されるわけです。

 欧米の総力戦思想を深刻に受け止めたのが永田鉄山石原莞爾だった。欧米諸国と比べて経済力で劣る日本に危機感を抱き、石原莞爾は持久戦争を想定して満州に確固たる基盤を築く体制(王道楽土)の確立を主張した。

 

 そうして日本は満州事変に突入していくのだ。

 

今日はここまで! 

 

 

【略年譜】

1868年 明治維新政府、設立

1877年 西南の役

1894年 日清戦争

1902年 日英同盟締結

1905年 日露戦争

1910年 韓国併合 

1914年 第一次世界大戦(1918年まで)

1915年 対華二十一ヵ条要求

1917年 帝政ロシア消滅

    帝政ロシアと日本の「秘密協定」が暴露される 

    日本、金本位制停止

1919年 ベルサイユ条約山東半島利権に反発して五・四運動

1921年 日英同盟終了、米国主導の四カ国条約締結

    ワシントン軍縮会議

1923年 関東大震災

1924年 第二次奉直戦争で陸軍が裏工作(政府閣僚に知らせず介入)

1925年 宇垣軍縮普通選挙法・治安維持法成立

    イギリス、大戦で離脱していた金本位制に復活

1927年 昭和の金融恐慌

    南京事件(※蒋介石北伐による南京占拠で居留民被害)

    枢密院で緊急勅令否決、若槻内閣総辞職

    田中内閣成立、緊急勅令可決、モラトリアム発令

1928年 公的資金注入(予算の3分の1)でバランスシート回復

    (~1929)

     第二次山東出兵

     張作霖爆殺

    フランス、金本位制に復活

1929年 暗黒の木曜日(米国株式大暴落)

1930年 ロンドン軍縮会議

    総選挙で金解禁派の与党が大勝(民政党273、政友会174)

    日本、金解禁

    加藤寛治海軍軍令部長の帷幄上奏が失敗

    濱口雄幸首相、狙撃

    非募債主義財政(緊縮財政による軍事費抑制、官吏減俸1割減)

1931年 クレジット・アンシュタルト銀行倒産(世界的な金融不安の始まり)

    英国、金本位制を離脱

    東北地方の冷害・凶作

    満州事変

    若槻内閣崩壊、犬養内閣樹立(高橋是清蔵相)

    日本、金本位制離脱    

1932年 血盟団事件井上準之助団琢磨暗殺)

    五・一五事件犬養毅暗殺)

    英国、オタワ協定を締結、スターリング・ブロック形成

1933年 米国、金本位制離脱

1936年 ニ・ニ六事件(高橋是清ら暗殺)

1937年 日中戦争勃発

1939年 第二次世界大戦勃発

1941年 太平洋戦争開戦

1945年 敗戦

 

 

 

*1:昭和6年度予算案は非募債主義を貫いたが、昭和6年9月に勃発した満州事変によって「満州事変公債」発行して守れなかった。270ページ

*2:この銀行名は初めて知ったのですが、ネットで検索しても情報は多くありません。感覚的にはリーマンブラザーズの倒産のような衝撃を世界に与えたようです。ネットではここに簡単な解説がありました。

1930年代 オーストリアのクレジット・アンシュタルト銀行の破綻は、国際金融恐慌を引き起こした。 hou

*3:

ja.m.wikipedia.org

*4:276

*5:クレジット・アンシュタルト銀行の倒産に端を発したヨーロッパ各国の銀行危機

*6:

kotobank.jp

*7:もちろんそれは恐慌をきっかけに金本位制が崩壊した浸透するわけですが。ていうか、ルーズベルト大統領の失策の責任を各国が背負ったとも言えますがどうなんでしょうか。