このblogで書き落としたもうひとつの側面についても触れておきたいと思います。それは「自分探し」の系譜です。
この手の流れについて正史があるのかもしれませんが、その手の本を読んでいないので私の印象で思いついたものを書き連ねていきます。
確固たる社会ではない何か、というときの確固たる社会とは「封建制度社会」いわゆる昔ながらの共同体(江戸時代から続く風土)と「資本主義社会」があるでしょう。封建制に対抗的なものが資本主義社会、民主主義社会なわけですが、ここでは資本主義社会を前提に話をしよう。
資本主義社会を「乗り越える」と見られていた社会制度が「共産主義社会」でした。学生運動はマルクス主義を前提に活動をしています。また、資本主義社会に「抵抗する」運動がアメリカで生まれた「カウンターカルチャー」です。
共産主義が資本主義社会を国家体制から乗り越えていくものだとするならば、カウンターカルチャーは資本主義社会のメイン文化に抵抗するサブカルチャーです。メインを塗り変えていくものではないが、サブはサブで機能させる。社会を多様化させるための抵抗といってよいかもしれません。世界的に学生運動が主流だった1960年代後半、アメリカはカウンターカルチャーが隆盛します。ヒッピーなどが有名でしょう。
日本では学生運動の共産主義運動だけでなく、カウンターカルチャーの文化も入ってきます。コミューンはこれらが混ざり合った文化でもありました。自由を求めて共同生活を行う。1977年に出版された見田宗介の『気流の鳴る音』*1はマルクス主義でもなく、単なる抵抗運動ではない「もう一つの文明のあり方」を示した思想書として話題となりました*2。
さて、日本の流れを単純化して追ってみたい。学生運動は盛り上がったが、先鋭化して自滅していきました。一部の人間は見田宗介の思想に感銘を受けたり、宗教にからめとられたりしました。宗教だと70年代以降はヤマギシ、80年代だとオウム真理教などです。とはいえ、普通の人はどちらにも向かいませんでした。
80年代の新人類はフリーターになり、「自分探し」が流行ります。自分「探し」は、具体的には「旅」をします。国内や海外をバックパッカーで旅をする。特に自分探しといえば海外のバックパッカーで、異なる文化に出会うことで自分(=日本社会)や生き方の価値観を相対化しようとします。「自分の本当にやりたいことはなんだろうか」。これが80年代の切実な問いでした。
尚、先のblogにも書きましたが、当時は「新卒一括採用・年功序列・終身雇用制」が確立し、就職すると定年するまでやることが決まっていました。80年代は「24時間働けますか?」の躁的な社会でした。だからこそ切実な「自分探し」の旅でした。
ここでのポイントはマルクス主義の有効性が消えて学生運動が下火になり、主義ではなく自分そのものがむきだしになったということでしょう。○○主義に委ねた明るい未来はない。頼れる主義が無くなって初めて「自分」が浮き彫りになったのです。
私のやりたいことはなんなのだろうという漠然とした不安。社会の歯車として、社会の部品として働く人生に意味があるのだろうか。そうではない生き方をする私に対して社会には居場所があるのだろうか。
しかし、バブル崩壊。躁的な状態を名残り惜しむなか1993年に出版されたのが『完全自殺マニュアル』でした。80年代バブル期はデートマニュアル、ファッションマニュアルなどマニュアルのカタログ本が流行しました。その流れで自殺のカタログ本が登場したのです。これがミリオンセラーとなる大ヒット。大人たちは、社会はこぞってこの本を批判しましたが、若者にウケたのです。
この本のポイントは「辛くなったら社会から降りちゃえばいい」というメッセージでした。社会から降りる方法、究極のエグジット、死ぬ方法をまとめた本でした。この本がウケたのは「あ!死ぬというのもアリだな」と共鳴したからでしょう。
著者の鶴見済(1964生まれ)は、東大出身で大手電気メーカーに勤務したが、職場の濃密な人間関係が辛く、社会の部品として働く未来に絶望して退社してこの本を書き上げました。鶴見は現在も生きていて(自殺してませんよ!)、社会から降りる方法、資本主義社会をハックする方法などの著作を展開し、実践しています*3。
まとめると、大きな主義が無くなってむきだしの「自分」が現れた。自分探しをするために海外へ放浪する人たちが現れた。社会に違和感があるから自分探しをするわけだが、究極の社会への出口として『完全自殺マニュアル』が若者の共感を得た。死ぬという出口。この倦怠感は、木澤佐登志の闇の自己啓発が継承しているだろう*4。
もうひとつ、自分探しの旅について、実は「外こもり」だったのではないかとぼっそっと池井多は語っています。彼は当時まさに、自分探しの旅にでた人だった。そして現在はひきこもりだ。
「ひきこもり」という言葉がなかった時代だからこそ旅にでるしかなかった。バブル期は人手が足りない時代であり、「働く場所がないから家にいる」という選択肢はなかった*5。ひきこもりは、景気悪化して労働の場が実際に無くなり、大量のひきこもりが発生して社会問題となった。そうなって初めて実は80年代からひきこもりがいたことが判明する。池井多はひきこもれなかった人たちは「自分探しの旅」をしていたのではないか、「外こもり」をしていたのではないかと推測する。
社会に居場所がない人たちの思想は、現在、闇の自己啓発やひきこもりが継承してるといってよいだろう。彼らの声は80年代から響き、繋がっている。
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