kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

もうひとつの声、はるかな呼び声

 blog記事のシリーズがまとまったので、ここでひとつにまとめよう。元橋利恵さんの『母性の抑圧と抵抗』*1を読んで最新のケアの倫理を学びました。ケアの倫理は近代思想が前提としている「自立 /自律した自我」を相対化し、先の思想にむけた新しい自我論にとって欠かせないものです。この「自立 /自律した自我」という概念は普遍的な概念のように見えますが、実態としては男性*2を主体とした概念であることをフェミニズムは明らかにしました。

 しかし、フェミニズムが「男性」を主体にした概念だと批判したその「男性」像は男性のなかでも特権的な一部に過ぎないでしょう。現代の男性の大半は「自立/自律」とくに経済的自立の重さに苦しんでいます。また、女性が男性と同じように働きはじめると、経済的自立はできたとしてもそれを背負う責任の重さに苦しんでいます*3。「自立して生きていく」とは経済的自立が確保されなければいけませんが、収縮する社会で「経済的自立」するためは辛くて苦しいハードワークが待っています。男女ともに「労働」の負荷が重い。辛くて苦しい。そうではない生き方はないのだろうか。最近の新しい動きを書き留めたい。そのために書いたのが「もうひとつの声」シリーズです。

 「もうひとつの声」とは、発達心理学者のキャロル・ギリガン『もう一つの声』*4にヒントを得ました。ギリガンは発達心理学の「人間像」が男性中心であり、女性には女性の発達があることを指摘しています。抽象化された「人間像」が実は「男性」の人間像であることを気づかせてくれたのです。私のblogでは、ジェンダーの問題に限定せず*5、「近代の人間像=自立/自律した自我」を相対化する「もうひとつの声」を聞き取りたいと意識してつけました。分かりやすく「弱者男性」としましたが、実はもっと底から響いてくる「もうひとつの声」なのです。それは最後に分かってきます。 

 「もうひとつの声」シリーズは、自立/自律しなくても生きていける方法はないのか、その潮流を探っています。資本主義社会を相対化していく潮流。学生運動から始まるコミューンという生き方。でも、コミューンは既に死語になっています。今でも存続するコミューンはありますが、現代では大きな潮流になっていません。

 

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  新卒一括採用、年功序列、終身雇用の時代の異なる生き方。この時代には社会の歯車としてレールの敷かれた人生、就職して定年まで先が見える人生が嫌になって「新しい生き方」を模索する人が出てきます(脱サラやフリーターなど)。これらの新しい生き方ですら「働くのは当たり前」という価値観でした。そこに新しく登場したのがニート、ひきこもりでした。不況となり、労働市場がぎゅっと萎み、労働力が余り、取り残された多数の人がいた。

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 労働力余り時代は労働者は買い叩かれる。安い賃金の重労働。 労働自体に嫌気がさす。厭労働感が広まっていた。

 そんなときに新たな動きが出てきた。生活コストを抑えて「自由な時間を取り戻す」生活のあり方が模索されている。定年後の安定のために今を買い叩いて労働することをやめる。そこで頑張っても苦しい。心身ともに壊れてしまう。将来の安定よりも今の生活をラクにしたい。ひきこもり、働けない。将来を案じて一人で部屋で鬱々といるくらいなら、今をどうにか生き抜く。IT技術も進化したし、日本には過疎地域であっても最低限のインフラがある。やり方によっては、なんとか自活することが可能だ。日本社会にはまだ彼らの居場所は残されている。

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  以上が、ポジティブな面だとするならばダークな面も語らねばならない。今に続く現象は80年代から響く声であった。

 

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アジアで「そとこもり」する男性を特集する『シックスサマナ』。

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自立/自律した個人であるはずの男性のやり場のない怒り。ネット寄せ場に集まり、ヘイトを吐きちらす。ネットで愚痴を吐いているだけではなく、政治と結び付き社会に飛び出る。トランプが大統領選で勝利したように。

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 アメリカのダークな側面を知りたければフィールズ・グッド・マンがオススメだ。

 

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 日本では痛ましい事件が相次いだ。いわゆるひきこもり男性たちの大量殺人事件、もしくはそんな子をもった親の子殺しだ。自立できない苦しみ。この世に生まれ落ちても何一つ楽しいことはなかったのだろうか。この虚しさはいったいどこからやってくるのだろうか。

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 現代人はなぜ生きる意味を失ってしまうのだろうか。このことを正面から取り上げたのが見田宗介だった。

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  私たちが感じる生きにくさや虚しさは個人的な感情であるだけでなく、近代文明が到達し、次の時代へと続く過渡期の最中で吹き上げてくるものだった。地割れした底から吹く虚しさの正体。文明史として、その歴史の中に生きる一人の人間の底から吹きあがる虚しさは「二重のリアリティの疎外」から生まれてくる。「透明人間」の慟哭は文明の底から吹きすさぶ風だ。この虚しさ大風にさらわれて飛んでいってしまわないようにするには「今」を取り戻すしかないのだ。

 もうひとつの声。それは新しい時代からの呼び声だ。私たちはそのかすかな呼び声を聞き取って、その先へ向かうのだ。

 

 

 見田宗介の思想はわかった。では具体的にはどのように実践すればよいのか。新しい活動を探してきたが、大原扁理の実践が見田思想=高原の世界の生き方に近いものだろう。大原はおそらく見田宗介を知らない。実践を通して見田思想と一致したといってよいだろう。大原扁理のように誰もがこの境地に到達する道は開かれている。

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*1:

母性の抑圧と抵抗――ケアの倫理を通して考える戦略的母性主義

私のblogではこちら。

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*2:もっと正確にいうと白人の裕福な男性

*3:男性の多い職場で男性と同じく責任を背負って働いてみて初めて、男性って大変なんだなって気づきました。母親は「男がうらやましい」と耳にタコができるほど愚痴ってましたが、果たして彼女にこの責任が背負えるのか。困ったことがあると父親に相談し、決断してもらおうとする母に。。。そして、夫に相談してもスルーされて娘に愚痴ばかりこぼす母に。。。もちろん母親の世代に女性の就職の機会はなく、経済的自立するチャンスが少ないのは理解していますが、家庭内のことを決断したっていいはずなのに。。。と娘時代は思っていたんですよね。そこまで依存しなくてもいいのに、と。

*4:

もうひとつの声―男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ

*5:但し、フェミニズムはこのように一般化して語ることがケアの担い手を見えなくしていると批判する。その批判は当然だろう。私が言いたいことはケアの倫理が相対化した近代の自立した人間像=白人男性が無意識に前提となっていて、ケアの担い手の女性が排除されているように、男性においても特権的な一部の男性のことであって、すべての男性が該当するわけではないということであえて「弱者男性」に触れている。また、この男性像は労働の担い手として男女平等の建前となっており、男と同じように働く女性にもこの自立像が押し付けられて責任の重さに苦しむ人もいるだろう。