kyoyamayukoのブログ

私の墓にはルピナスを飾っておくれ

もう一つの声(2)1ーーー脱サラ、フリーター、そしてニート、ひきこもりの登場

 

 近代の「自律/自立した個人」ではない生き方の模索として、前回はコミューンまで書きました。その続きです。

 

kyoyamayuko.hatenablog.com

 

 「半分降りる」生き方を書く前に、もう一つ押さえておきたい生き方を書いておこう。

脱サラ、フリーター

 日本では1970年代に総中流社会に突入して、新卒一括採用・終身雇用が当たり前になりました。2021年の今の時代では信じられないのですが、バブルとミニバブルが崩壊するまで、就職するということは「敷かれたレールの上を走る」、「社会の歯車」になることが苦痛だという悩みがあった。今では想像がつかない苦しみだと思うので説明をすると、新卒で就職すると定年までその会社で働く、つまり60才までの生活が想像がつき、繰り返しの毎日を想像するだけでうんざりするという感情があったのだ。この時代は大企業が倒産することなんて「ありえない」と信じられた時代です。まぁこのあと、バブル崩壊後の金融不安で大企業も倒産する時代に突入するんですけどね。倒産回避のためにリストラする社会が当たり前になった現在から見るとちょっと信じられない時代ですよね。今の時代は10年先も見通せないので贅沢な悩みに見えるかもしれません。

 終身雇用とは異なる生き方として注目されたのが「脱サラ」だ。「安定」したサラリーマンという身分を捨てて独立することです。よくあるのが蕎麦屋とか飲食店の自営業ですね。

 「新卒一括採用」が当たり前のバブル時代に、「やりたいことなんかわからないも~ん」という若者が自分探しのために就職せずフリーターとして働くことが流行ります。彼らに焦りがないのは、人不足の時代なのでアルバイト需要があり、時給もよかった。カッコイイからコンビニで働く時代もあったんです(笑)。終身雇用を前提にした新卒一括採用の新卒の給与は低いわけですが、フリーターの稼ぎは彼らの月給を超える時代があったのです。

 脱サラもフリーターも「社会の歯車」になることを否定し、「自分らしく」生きることを求めました。

 しかし、それは日本経済が好調だったからできたことでした。今や転職は当たりまえだし、独立することも珍しくなくなり「脱サラ」は死語となりました。労働は流動化し、派遣労働が当たり前になりました。

 「フリーター」は新卒で採用されなかった高卒・大卒のように見られ、貧困を象徴する存在になりました。景気悪化で人不足となり、時給は上がらず、8時間労働しても新卒採用の一ヶ月分の給与に届かなくなりました。

ニート、ひきこもりの登場

 人あまり時代には新たな言葉が生まれます。「ニート」、「ひきこもり」です。 この言葉の登場で「脱サラ」、「フリーター」という言葉は「働く」ことを前提とした肯定的な言葉だったことが分かります。終身雇用が当たり前の社会ではオルタナティブが生き方が「かっこよく」見えた時代でした。キラキラした用語だったんですよね。

 「ニート」、「ひきこもり」は自発的にその状態になったのか、環境によってそうなったのか渾然一体としていますが、ようは「働かない/働けない」状態です。ここにきて初めて「働かない/働けない」存在が社会に認知されるようになりました。

 

 脱サラやフリーターは働く意欲があり、労働そのものには肯定的です。フリーターは80年代と現在では意味合いが異なりますが、それでも「働く」ことを前提とした生き方です。「働ける」人間であり、現在の労働状況に積極的にでも消極的にでもコミットして継続して働ける人間なのです。

 ニートやひきこもりになるパターンは様々ですが、そもそもは経済悪化による労働人口のミスマッチが原因です。90年代半ばはベビーブーマーである団塊の世代のJrが就職する時代でした。しかし、その時期に新卒一括採用がぎゅっと狭まりました。終身雇用制に乗れなかった人たちがたくさんいます。.彼ら彼女らは派遣労働として働くようになります。しかし、そこにも乗れない層がニートやひきこもりになりました。

 景気悪化で労働人口を狭めましたが、その狭き門をくぐって入った職場では何が起こったかというと仕事量自体が減ってはいないので、過重労働を強いられるブラック化でした。低給料で過重労働を背負います。「社畜」という言葉が登場します。しかも企業の資金繰りも厳しくリストラも多い。いつ首を切られるか分からない。心身の体調が崩れ、会社を辞めます。転職もままなりません。ニートやひきこもりになっていきます。そんなことがよくある経済社会になりました。

 「働く」ことにポジティブなイメージがもてない。頑張って働いてもむくわれない。もう働きたくない。

 90年代後半以降、こういう層が静かに増えていったのです*1厭戦ならぬ厭労働の雰囲気が静かに広く深く広がっていったのです。彼らの中から「定職」で働かない生き方を模索する人たちが出てきます。

 

つづく。

*1:もちろん、その逆の動きも進行しました。大学は遊ぶ場所ではなく、就職するために一生懸命勉強し、資格を取る場所に。もしくは就職活動の履歴書に自分の「頑張り」をメモするために社交的に生きる場所になりました。