■追加情報 20211007
竹宮惠子さんのblogで増山法恵さんが亡くなったことを知りました。お悔やみ申し上げます。2021年6月30日に永眠されました。原因は不明だそうです。1日におきに介護士が来ていたそうで、様々な病気を抱えていたそうだ。竹宮惠子のblogの日付は10月3日。最近知ったような内容でした。
萩尾望都の『一度きりの大泉の話』が出版されたのは2021年4月21日でした。増山法恵さんの話も聞いてみたかった。とても残念です。
■追加情報 20210704
文庫化されたので読んでみました。この本の単行本の出版は平成30年、2018年です。イタリアの大学での講義は2009年です。2009年のボローニャ大学の少女マンガ講義では手塚治虫のリボンの騎士でから始まり、よしながふみの大奥で終わります。その課程でBLについても触れれていますが、ここでは竹宮恵子の風と木の詩については触れていません。木原敏江の『摩利と新悟』について触れて、70年代後半から少女マンガに歩もセクシュアリティの要素が入ってくると説明しています[35]。70年代前半のトーマの心臓や竹宮惠子の風木については触れていません。但し、紹介しきれなかった作家として49ページに竹宮惠子の名前が記載されています。
イタリアの新聞記者トロッタ氏が「少女マンガの世界を革命的に変えたお一人だと思いますが、少女マンガが世界へ浸透していった理由」[131-132]について質問している。それに対して萩尾望都は、
私自身は革命的かどうかわかりません。少女マンガが世界で読まれているのは、思春期の女の子に普遍的にある気持ちを表し、共感が生まれたからだと思います。132
後半のインタビューで、
『ポーの一族』も、『エヴァンスの遺書』をはじめとして、描きたかったスピンオフ作品を描きはじめました。が、まぁ、そうですね、いろいろあってーーーまぁ、人生、いろいろとあるものです。短編から連載になったときに、いろいろなエピソードを考えたんですが、連載の終盤だった1976年は非常に疲れていて、気持ちがなかなか「ポー」のほうにいかなかったんです。154
ここのいろいろあっての部分は、が萩尾本*1で書いた内容の出来事でしょう。
■情報追加 20210529
竹宮惠子の妹でありマネージャーでもある大内田英子さんが、萩尾本の感想をblogにアップしました。2021年5月25日にアップして翌日削除したそうです。こちらは削除されたblogのアーカイブです。削除したものを記載するのは抵抗がありますが、情報収集サイトなので。関係悪化を煽りたいわけではないので誤解無きようお願いします。それぞれの思いがあるんでしょうね。
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話題の萩尾望都の本には衝撃を受けた。
今や当たり前のように使われている「花の24年組」、「大泉サロン」、「少女マンガ革命」の言葉に萩尾望都ご本人が否定的だったのには驚いた。しかも、「恣意性」のある言葉だという。ネタバレになってしまうが、増山法恵がジャッジした漫画家のみを「花の24年組」として使うことに極めて批判的な様子だった。
私はリアルタイムの雑誌読者ではなく、有名な漫画家の作品として読んでいたし、これらの言葉はよく使われていたので疑いもしなかった。というわけで言葉の由来を探してみた。
竹宮恵子の本を読むと、「花の24年組」についての説明は無し。「大泉サロン」については、ボロ長屋なので「サロン」と言われると恥ずかしいと書いてある。周りが「大泉サロン」と呼ぶようになったという。「少女マンガ革命」については、本人が積極的に発言している。
「花の24年組」は誰が使いはじめたのか。ツイッターで貴重な情報をゲットした。繁富佐貴さんの論文は重要だろう。
このずいぶん後の2010年、繁富佐貴「少女マンガ論の生成期と「24年組」神話」 https://t.co/lIPvJNMbiZ という論文が出て、そこでは大泉サロンの増山法恵が言い出し竹宮らが自称した、という『竹宮惠子のマンガ教室』(筑摩書房)掲載の話を採用してた
— ㌼xйп (@blogdexjp) 2016年5月31日
『竹宮惠子のマンガ教室』(2001、筑摩書房)では「24年組」は増山法恵さんが言い出したってことになってたよね。〈もともと増山さんが言い始めたんだと思います。「だって考えたら24年組だよね、みんな」って〉。大泉サロンで言われだした、という点は決まりっぽいけど
— ㌼xйп (@blogdexjp) 2021年4月29日
この辺が重要な資料になってくるのかな。花の24年組は増山法恵さんが言い出した言葉なのだろう。
少女マンガ史では当たり前のように使われている「花の24年組」「大泉サロン」「少女マンガ革命」は、あくまで竹宮・増山史観であって、萩尾望都からすると恣意性の強い言葉として受け止められている。少女マンガ史を読むときには注意しなければいけないだろう。雄弁な語り部は多いに語るが、それはあくまで一つの史観に過ぎないということだ。
■増山法恵の情報
増山法恵さんについては断片的な情報しかないのでわかる範囲で集めてみました。随時追加していきます。
増山得恵の若かりし時の写真
162ページに竹宮と増山の写真
163ページには竹宮自伝で初のサイン会でドレスを着たという話が出てきたが、その時を彷彿とさせる写真が。淡いピンク色のドレスの竹宮惠子と司会する増山法恵の写真。
2008年。インタビューに応じている。未読
増山法恵の役割について触れている。
追加情報
吉田豪の話によればこの本で増山法恵がインタビューされている。2019年。増山法恵のインタビューでは最新のものかもしれない。
中川右介さんの本を読みました。
感想
大泉サロン時代の同志。解説は増山法恵。
佐藤史生著『死せる王女のための孔雀舞』、復刊決定です!単行本初収録となる作品も収録予定。解説は女性版トキワ荘ともいわれる「大泉サロン」の生みの親、増山法恵氏です。少女漫画ファン必読!(編集部Y) http://t.co/2gFvlGPP
— 復刊ドットコム編集部 (@fukkan_editors) 2012年2月13日
とりあえず私も手持ちの本をいくつか読み直すかと思って、まずは『アリス・ブック』Ⅱ(竹宮惠子/ほか著 新潮社 1991)p252-255「キャベツ畑に、夢の花咲く……」(増山のりえ/著)を再読。増山法恵視点のあのころを振り返る文章です
— みやさと (@paststranger) 2021年4月24日
『アリス・ブック』Ⅱ 増山法恵 「キャベツ畑に、夢の花咲く。。。」252-255
2008年に竹宮恵子と対談。ネット記事。
ネット記事による増山法恵のプロフィール
都立駒場高校音楽科(現:都立芸術高校音楽科)在学中から少年・少女漫画に夢中になる。アマチュア時代の竹宮惠子、萩尾望都らと知りあい、音楽の世界から漫画世界へ転身を決意。二十歳から十五年間、少女漫画家・竹宮惠子のプロダクション“トランキライザープロダクト”のプロデュース・ディレクターを勤めたのち独立。現在はフリーライターとして、書評、映画評、音楽評論活動をしながら、“のりす・はーぜ”名で小説も発表する。小学生の頃から少年(少女)合唱に興味をもち、高校時代から音楽雑誌に児童合唱論を発表。近年は世界中の少年(少女)合唱団に関する音楽評論活動に力を入れている。
のりす・はーぜ名義で4本の小説を書いているらしい。
増山法恵が「のりす・はーぜ」の筆名で大手から小説を4冊も出していることを知らない人たちが「自分では作れない増山が」って書いている問題。プロデューサーとしてだってあれだけの仕事したら大したもんだと思いますよ。ジブリの鈴木プロデューサーを「自分では作れない鈴木」って言いますか?
— KATO kosei 加藤晃生 (@sd_tricks_kato) 2021年4月30日
増山法恵さんの『永遠の少年』と中島梓さんの『美少年学入門』をセットで買って頂き大変ホクホクしています。そのまま昔の少女漫画に進んでほしい! (中島梓の著作なら『小説道場』が良いと思います) pic.twitter.com/bUzJnRTJHJ
— さみやまねこ (@samiyamaneko) 2018年6月17日
大友克洋さんの自主制作実写映画『大麻境』が完成しなかった理由が「主演の高寺彰彦さんが撮影開始時から半年で16キロ(?)」も太ったから整合性がとれなくなった」という話になってしまったこととか(本当は主演の一人だった増山法恵さんの弟さんが就職して参加できなくなったため) https://t.co/UDqVSkzKKD
— 鈴木淳也 Jun'ya Suzuki (@JunyaTheSphere) 2021年2月28日
■大泉サロンの様子
どこかであちこち大泉サロンの様子のマンガを読んでいるため、大泉サロンのイメージがなんとなくあるのですが、ちょっとしたエッセイマンガのため誰のマンガだったかもわすれている。見つけたものをここにコピペする。
『一度きりの大泉の話』のあとで『ゆうれい談』(山岸凉子・1973年)を読むと感慨深い。幸福な時期の大泉。
— 中等遊民 (@kf0088) 2021年4月28日
2枚目上段。左から山岸凉子、ささやななえ、萩尾望都、増山法恵(別のページで「のんたん」と呼ばれている)、竹宮惠子。だよね。 pic.twitter.com/pTNWom8iIO
『薔薇はシュラバで生まれる』(笹生那実・2020)も一つの同時代史。木原敏江と美内すずえの会話の中で萩尾望都のイギリス行きが語られる。 pic.twitter.com/exEU9aMy6Z
— 中等遊民 (@kf0088) 2021年4月28日
10年目の鞠絵が三人の関係を表したマンガではないかと囁かれている。
中川右介氏の本で言及されていた『十年目の鞠絵』を読み返してみましたが、ああなるほど、大泉サロン解体への想いがテーマなんだなと思いました。
— plamsuki (@plumsuki) 2021年4月26日
増山法恵さんの名前の頭1文字、お尻2文字を繋げると「まりえ」になります。 pic.twitter.com/JLRpVwuWd4
萩尾望都「十年目の毬絵」について、毬絵という名は増山法恵さんが由来なのでは、という指摘。「十年目の毬絵」という作品、竹宮本・萩尾本の後に読むともうそのようにしか読めなかった。 / 1件のコメント https://t.co/Jds096xZcn “名前に秘めた思い - ガエル記” (1 user) https://t.co/fZL5MKDybe
— U次郎 (@Ujirou) 2021年5月8日
■関連論文、書籍
可児洋介,2013,「「24年組」をめぐる二つの運動体─増山法恵の「大泉サロン」と迷 宮の「マニア運動体」」 『マンガ研究vol19』 ゆまに書房
24年組に関する論考としては、『マンガ研究』19号に掲載されている、可児洋介さんの<「24年組」をめぐる二つの運動体─増山法恵の「大泉サロン」と迷 宮の「マニア運動体」>が非常に重要と思います。RTと併せてお読みください。もちろん『少年の名はジルベール』は言うまでもなく。
— 藤本由香里 日本帰国 (@honeyhoney13) 2016年5月31日
以上の情報を踏まえて花の24年組、大泉サロン、少女漫画革命の由来について改めて記事にしました。
そのほかの記事。
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